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HERO - Trent Reznor As Nine Inch Nails -

 『子供に限らず、若者は群れたがる。
 グループを作りたがる。
 内輪の言葉、
 仲間うちだけで通用する
 隠語や冗談を共有することで、より親密感を確かめ合う。
 それはフリーメーソンの秘密の儀式にも似た
 符丁としての意味もあるだろうが、
 いちいち説明しなくても互いに分るという
 その安心感と気安さこそが重要なのである。
 すなわち、お互いに頭が痛い、腹が痛いと言いつつ、
 その意味するところは
 「俺たちは気分が塞いでいるんだ」と語り合っているような
 コミュニケーションの仕方が成立している。
 だから彼らは排他的である。
 というよりも、どうせ仲間以外には分らない、
 誤解されるだけだということを知っている。
 あるいは、分ってもらえなかった怒りから、
 なおさら部外者には理解し難いスラングを弄ぶようになる。
 知ったかぶりの若者言葉を口にして取り入ろうとする大人が
 毛嫌いされる理由もそこにある。

 そうなると、
 いったんどこかのグループに所属しそこねた場合、
 子供や若者にとって
 孤独感や世の中との隔絶感は
 予想以上の深刻な事態となり得る。
 群れからはぐれてジャングルに放り出された
 野生動物のような立場に置かれかねない。

 こういったことを前提とするなら、
 以下の二点を考えることが可能となる。
 すなわち、
 自分の気持ちや考えを首尾よく表現する
 語彙や言語能力を持てなかった者は、
 常に社会との間に違和感を覚え、
 それが苛立ちとなって
 きわめて短絡的・直情的・衝動的な人間となる恐れもあれば、
 むしろコミュニケーションの成立をあきらめ、
 それがためにひどく無気力かつ得体の知れぬ人物と
 周囲から思われるようになる場合もあるということ。
 もうひとつは、
 自己表現という文脈で
 自分の代理となってくれるような人物が見つかったとするなら、
 それがロックスターであろうと詩人であろうと
 俳優であろうと教祖であろうと、
 あるいは知人であろうと、
 その人物へ強く思い入れをしたり、
 執着することが容易に予想されること。
 以上の二点である』

 (春日 2000)

いや、別に全面的に支持する気持ちがあって
引用したわけじゃないんですよ。
上の文章の最後の部分、
『もうひとつは〜』以降を読んで、
フフンと笑った人や、
呆れ気味に「ああそう」と思った人、いませんか。

確かに「的外れ」ではないと思うし、
直感的には「多分そうなんだろうな」と思います。
僕も含めて「弱っちい人」が「ロック」に執着するんだと思います。
そういう考えに納得することも出来ます。
でも、まるで、「ロックスター」に執着する行為が
悪であるとするかのような意思が感じられて、僕は何気に憤ります。

だって、
誰にだってヒーローはいるじゃないですか。
当たり前のことですよ。
ただ執着の仕方が問題なんであって、
執着すること自体は
何ら問題のある行為ではないと、僕は思います。

確かに、自分自身がパーフェクトなら、
そんなふうに誰かの表現に強く共感して、
その誰かに依存することはないのかもしれない。
だけどパーフェクトな人間なんていないじゃないですか。

だから僕らはときとして
ロックスターであろうと詩人であろうと
俳優であろうと教祖であろうと、
あるいは知人であろうと、
その誰かの表現に自分自身を重ね合わせて、
その誰かに強く執着することがあります――

*** *** *** *** ***

「暗黒大魔王」。
ナイン・インチ・ネイルズの中心人物であるトレント・レズナーは
メディアによってそんなレッテルを貼られていたことがあった。
「暗黒大魔王」なんて何だか
『THE TEXAS CHAINSAW MASSCARE』を
『悪魔のいけにえ』と訳してしまうような、
そんなどこかB級じみた匂いがあって
僕は余り好きではないんだけれど、
まあとにかくそう呼ばれていたことがあった。

その呼び名は彼の「表現」に由来しているんだろう。
92年に発表されたミニアルバム『BROKEN』。
ここに収録されている「Happeness In Slavery」。
この曲のビデオクリップは凄惨だった。

モノクロの画像。
1人の中年男性が小さな部屋に入ってくる。
彼は部屋の隅にある鏡の前で服を脱ぎ、綺麗にたたむ。
全裸になった彼は、
部屋の中心にある椅子に横たわる。
やがて椅子の仕掛けが動き出し、
男性は見る間に切り刻まれていく。
その最中、
彼の顔は苦痛とも快楽とも取れる表情に歪んでいる。
切り刻まれた彼の断片はしかるべき工程を経て、
原型をとどめぬ形になり、部屋の外へ放出される。
すべてが終わり、静まり返ったところで、
また別の男性が部屋に入ってくる。
それがトレント・レズナー。
彼が部屋に入り、チラと脇を見たところで、クリップは終わる。

中途半端な映像など一切なかった。
ドリルが身体に食い込んでいく瞬間も、
鉄板が下腹部を押しつぶす瞬間も、
流れ出る血も、叫び声も、
すべてが、そこに映し出されていた。

『BROKEN』の頃のビデオクリップは、
そんなグロテスクなものばかりだった。
蝿が無数に飛び交う部屋の中で、
ステーキを頬張り、ワインを飲む男性。
全身ボンテージで身動き取れない人間の口に流れ込む、便所の汚水。
さらに、公式的には発表されていない「BROKEN」のクリップは、
殺人の過程さながらであり、あまりにおぞましかった。
あんな映像がクリップとして作られたとは、とても信じられない。

かつてはそんなクリップを通して表現を行っていたのが、
ナイン・インチ・ネイルズ=トレント・レズナーだった。

色白の肌、
黒い髪(ちなみに本来はブラウンで、黒に染めているらしい)、
少年のように澄んだ瞳、
そしてどこかナルシスティックな佇まい。
(今ではややおっさん臭くなってしまったけれど…:笑)
話し方も非常に知的で、
人前で激を飛ばしたりするようには見えない。
「いたって普通」。
そんな彼が、作品の中では激しい感情を剥き出しにする。
“I HATE EVERYONE”と叫び、
外側(あるいは内側かもしれない)への怒りをぶちまける。

94年のアルバム『THE DOWNWARD SPIRAL』(以下、TDS)の中では、
はっきりと、自分自身へと感情の刃が向かう。

“HATE ME”、“ERASE ME”、“I HURT MYSELF TODAY”と歌い、
どうしようもない自己嫌悪を露呈。

“NOTHING CAN'T STOP ME NOW”
 (もう俺を止められるものは何もない)としきりに繰り返し、
タフを気取って強がったりする。

自己の中で空回りする外部への叫びは、あまりに痛々しい。

“I CONTROL YOU”(俺がお前をコントロールする)なんて、
できもしないことを耳元で連呼してみたりして。

BROKENからTDSの時期までのNINのサウンドは、
「ネガティブ」という言葉で表される全ての要素を
こねくり回して引っ張りまわしてまとめ上げ、
硬く握ってゴツゴツした塊にして、
猛スピードでもって投げつけてきていた。

他者を求めながらも上手くいかない人間関係、
そこでどうしても発生してしまう不協和音、
そんな状況の中で高まる自己破壊願望と、
どうせいっさいは無に帰すんだという無常観、
そして他者に対する憎悪。
やがておとずれるのは、
世界と自分との関係性を断ち切ろうとせんばかりの破壊衝動。

それはまるで自意識過剰な人間が、
人込みの中で他人の視線が気になって仕様がなく、
「みんな俺の方見るんじゃねえよ!」と、
理由もなく感じてしまう不条理な怒りと悲しみのよう。

そういう「表現」が、
トレントを「暗黒大魔王」と呼ばせたのかもしれない。
いや、きっとそうだろう。

rockin'onの1999年10月号に掲載されているインタヴューがある。
インタヴュー自体はそれより数年前の海外音楽雑誌に載ったものだが、
そこでトレントは言っている――

 『僕は思春期の頃、早く大人になって、
 田舎を飛び出したくてたまらなかった。
 何一つ起こらない、
 凡庸を絵に描いたような田舎の日常なんて大嫌いだってね。
 だから、極端で刺激的なものなら、何にでも夢中になった。
 境界線を越えてしまったものに興味を持ったんだ。
 怖くて眠れない映画とか、
 本とか……家にはホラー漫画もため込んでね、
 そうなると次は何だ? スティーヴン・キングより怖いのは? 
 クライヴ・バーカーだ。じゃあその先は?って際限なく刺激を求めだすわけ』

 (p.20)

音楽、TVゲーム、ホラー映画、
メディアを通じて知らされるトレントの趣味はそんなものばかり。
そんな内にこもりがちな生活を想像させる人間が
上記のような表現を行っているとくれば、
「暗黒大魔王」とも呼ばれよう。

NIN、つまりトレント・レズナーの凄さは、
上で挙げたような
過剰なまでの表現(衝動)を生み出し得る感情を、
ごく平凡な人間、つまり誰もが持っているという、
その事実を鮮やかに証明して見せたことではあるまいか。
しかも彼はそれを
今までにないサウンドフォーマットでもって、やってのけている。
しかもそこにのるメロディはPOPであり、僕らの耳に余韻を残す。

トレントが天才と言われた所以は――
荒波のような激ノイズと凪のような静寂を使い分け、
機械を使いながらも有機的な、
NIN印とでもいうようなイノヴェイティヴなサウンドを作り上げ、
そこに抜群のセンスを持った合唱可能なメロディを乗せ、
それを極めて内省的な、
僕らの黒い内面を暴き立てるような歌詞でもって歌ったこと――
そこにあるのだろう、と僕は思う。

もちろんイノヴェイティヴとは言っても、
先駆者的なアーティストたちが鳴らした音に
影響を受けていることは間違いない。
けれども彼は、トレントは、
今までアンダーグラウンドでしか成立し得なかったような、
異常なまでに過激かつ過剰な表現を
見事にメインストリームで展開して見せた。

NINがTDSでつかんだ成功、その影には
「グランジ」と呼ばれたノイジーな音楽が
世の中に認知されていたという背景があるのかもしれない。
今までのメインストリームにはなかったような、
ノイジーな音楽であった(いわゆる)「グランジ」、
それはある種、
人びとの頭や耳の「箍(たが)を外す」効果を持っていただろう。

そしてそんな音楽によって、人びとの箍が外れかかり、
ひいては音楽シーン全体の箍が外れかかっている、その時期に、
NINはシーンの波に乗り、
過激で過剰な表現と、独自のサウンドセンスと、
これまた独自のメロディセンスでもって、
一気に箍を外してしまった。
まさにエポックメイキング。

NINのサウンドが音楽シーンの流れに一石を投じたことは、
TDSがビルボード初登場2位であったという現実によっても
しっかりと裏付けられているだろう。

さて、どうにも僕の言葉だと
伝えたいことが上手く伝わらないように思えるので、
ココまでを読んで興味をもった人は、
どうにかして『極楽ロック月報』の33号で
妹沢奈美さんが書いている文章を読んでもらいたい。
あまりに長いので引用は差し控えさせてもらうけれど、
妹沢さんは、
NINがそのサウンドで暴いたものが何だったのかということと、
その求心力の理由について、見事にまとめてくれている。
読んでもらえれば、
「NINの何がそんなにすごいのか」ということが良く分る。

ただ、ここまで書いておいてなんだけど、
TDSの時点までにやってきたことは
トレントとしては「演技」だったのかもしれない。

舞台裏を収めたビデオ作品の中でトレントは、
見事なまでの「ごく普通」の笑顔を見せてもくれている。
「何だ普通じゃんよ、この人」と、
あの映像を見るとそう思ってしまう。

そう、
トレントはきっと普通なんだろう。
才能溢れる普通の人なのだ(って普通じゃないじゃん:笑)。

インタヴューの中でも、若い時期には――

 『本質的にNINは芝居なんだよ。
 やってることはパール・ジャムよりアリス・クーパーに近いんだ』

 (BUZZ 2000年7月号 p.59)

――と語っている。これは94年の言葉だ。

この発言からは
NINでの表現はフィクションとも受け取れる。
実際、
トレントが、自身の作品における表現をそのまんま反映したような、
「本質的に常軌を逸した人間」であることを裏付けるようなエピソードは
全くと言っていいほどないし、あったとしてもデマが多い。

TDS作成時、
チャールズ・マンソンによる殺人現場を
わざわざ買い取ってスタジオにしたというのも、
そこが殺人の現場だったというのは
トレント自身は後で知ったことのよう。
それから、彼の表現があまりにキワドイのは、
彼の育った家庭環境が原因では?という噂もあるけれど、
これもデマのよう。
確かに両親は幼い頃に離婚しているけど、
その後は祖父母の手で可愛がられたとのこと。
学生時代に特に「ハミダシ」ていたということもないようだ。
もっとも大学は一年で辞めたらしいけれど。
ただ、僕には良く分らないけど、
アメリカにはマッチョ至上主義とでもいうような
「スポーツができない奴はダメだ」という考えを持っているところがあるようで、
学生時代トレントは運悪くそういう環境にいたようではある。

いずれにしろ、
トレントの表現=トレントの内面そのまんまと言ったような、
簡単な図式はここからは見出せない。

じゃあ、彼の表現は10割が虚構だったのか?
そんな疑問が出てくる。
僕は、10割とはいかないまでも、
彼の表現はある程度虚構であったろうと思う。

周りの人間、バンドメンバーの発言を見ても、
トレントが人間嫌いで内向的というのは本当だろう。
完璧主義者で感情の振幅が大きくて、神経質なのも。

けれども作品を通して表現されるのは
彼の1側面にすぎないのである。
四六時中死ぬことを考えたり、
全てをぶっ壊すことを考えたり、
トレントはそんな人ではないのだ。

きっと彼は、
実際自分自身の中に横たわっている
1つの黒い感情に焦点を絞り、
それに芸術的な装飾を施して、
放出していたんだと思う。
その黒い感情1つを
あまりに掘り下げすぎたために、
表現は常軌を逸したような形で爆発し、
皆に多大な負の「インパクト」を与えた。
そしてそこ――過剰な表現――に、
表現者の人格全てが重ねられてしまっていた。
結果、トレント・レズナーは「暗黒大魔王」だと言われた。
ただそれだけのことじゃなかろうか。

TDSの発表に伴うツアーの最中、皮肉なことに、
トレントはTDSで自分が表現した世界を
身を持って体験することになった。

エポックメイキングなアルバムと地道なツアーの結果、
小さなバンドがあまりに突然に手にした大きな成功。
周りの誰も彼もが、ご機嫌取りと化す。
今までは頂点を引きずり落とす側だったのに、
今度は落とされる側に。
極度の人間不信。
ビッグアーティストとしてのプレッシャー。
急激な立場の変化に耐え切れず、歪む精神。
それに長期間のツアーの疲労が重なり、
彼(彼ら)の精神状態は破綻をきたす。
ビデオ作品に収められたツアー後半の映像からも、それが垣間見れる。

この悪夢のような(?)ツアーを終えた後、
トレントをはじめ、メンバーたちがどんな変化を見せたのか、
ライヴでキーボードを務めたチャーリー・クラウザーは後にこう語る――

 『トレントはなんと毎朝、
 体鍛えて走ってジムに行くようになったんだ。
 俺、あんなことが起こるとは夢にも思ってなかったね(笑)。
 他のみんなも、
 一緒に旅行してマウンテンバイクに乗ったりしてさ』

 (BUZZ 2000年3月号 p.82)

――なんと、NINは落ちるとこまで落ちた後、
100%健全とはいかないまでも、破滅を脱したのである。
TDSの製作やツアーの頃を振り返り
「あれが1人で何でもできると思ってた最後の時期だった」と、
後にトレントは語っている。

これ以降、
次のアルバム「FRAGILE」の製作が本格的になり始めるまでに、
どれほどの時を経たのかは分らない。
まあおそらく1〜2年ほどだろうか、
その中で「人間嫌い」なトレントは徐々に人と交わりを持ち始めた。
以前より、確実に、彼を取り巻く人の輪は広がっていった。

そして完成したのが『FRAGILE』、
脆さを追求したアルバムとのことである。
太いドラムや分厚いギターの合間に埋め込まれた弦楽器が、
その脆さを醸し出している。
作品としては素晴らしい。
だが何かが足りない、正直そんな思いを持ってしまった。
「落ち着いたな」、
そんな印象をもった。
暴力性が減少しているし、
どんなに混沌としても保たれていたPOPさがどこかへ行ってしまった。
まあ当然聴き込めばメロディを追えるようになるけれど、
そんなPOPさなど前作の比ではない。

……いや、僕が言いたいのはそんなことじゃない気がする。

トレントの表現が、
今までとは違う方向に向かっている、
そんな気がした。
どうしようもなく自己を嫌って、
全てをあきらめて、
自分にとっての「世界」を破壊する、
そういった人間性を表現せざるを得なかったトレント。
そんなトレントは『FRAGILE』にはいない。

rockin'onの2000年3月号、
トレントは
『FRAGILE』というタイトルの由来について訊かれ、こう答えている――

 『このレコードは、
 人の在り方というのは
 傷ついてて当たり前なんだということを受け入れていくものなんだ。
 この作品は敢えてそれを認めていくもので、
 どうしてかというと、
 僕は自分がまともな状態にないことを自覚したからなんだ。
 自分をめぐるさまざまな問題がいびつなことになっていた。
 それなのに、
 十代の気分で『俺はタフだ、ファック・ユー』的な、
 KORN的なメンタリティを決め込むことはもうできなかったんだよ。
 僕としてはもっと……軽いっていうんじゃないけど、
 少なくとももうちょっと
 成熟したやり方でやりたかったんだ。僕はもう34歳だし、
 僕は……傷ついているのかもしれないし、
 完璧な状態にはないのかもしれないけど、
 それで充分なんだっていうね。
 そうであるべきなら、
 そういう音として鳴るべきレコードを作るべきなんだっていう、
 そこがポイントだったんだよ。
 それだからこそ、『ザ・フラジャイル』と名づけたんだ』
(p.23)

ついに、ようやっと、
トレントは自分自身を受け入れた…のかもしれない。

ここでいきなり僕の話になるけれど、
僕はつまるところ、
「暗黒大魔王トレント・レズナー」によって生み出された、
他者との不和に起因する自己嫌悪と他者憎悪、
そしてそこから導かれる破壊衝動と、
それでもいいという無常観、
そんな要素で塗り固められた世界が好きだったのかもしれない。

大した苦労もせずに育った僕は、
幸せモノの暇人の性ゆえか、
誰に何をされたわけでもないのに、
勝手に自分の心を井戸の底に投げ込み、
人間関係を嫌い、
ニヒルを気取り、
井戸の外を歩く人たちを鼻で笑う、
そんなことをしてる時期があったりした。

というか、
自分はそういう人間なんだと
決め込んでいた時期があった。
「あー自分はこういう人間なんだな」なんて、
勝手に思ったりして。
若い時期にありがちな
「世をすねる」ってヤツかもしれない。

ちょうど大学入りたての頃。
一人暮らしを始めた頃って、
何となく精神的にぐらつくものだけど、
僕の場合、そのぐらつきがなかなかおさまらなかった。
周囲で次第に広がっていく友達の輪を感じながら、
僕は当初そこに加わろうとしなかった。
「ハッ、1人でいいよ」みたいな気持ちでいた。

そんなとき、隣で一緒に
「何で僕はここにいるんだろう?」
とつぶやき、
井戸の外の人に向かって
「お前らのせいだぞ!
ちきしょう、ヘラヘラしやがって!
お前らみたいに絶対ならねえ!」と、
すっかり悲劇のヒーローぶって
世界に背を向ける僕を応援したのが
NIN、いやさトレント・レズナーだった。
(↑ってまあ実際そんな大袈裟なモンじゃないんだけど〈笑〉)。

そして僕は、
一時期トレントにあこがれた。
一時期だけど。
僕はNINに出会う前、
中学・高校の時から、
スティーヴン・キングが好きだったし、
「救いがない」と言われる、
クライヴ・バーカーの『血の本』シリーズも何冊か読んでいた。
先でも引用したように、
トレントがそういった作家を好んでいたことを知ったとき、
僕の中で彼への執着がことさら強くなったように思う。

 『大学のとき、
 友達とつるんだり、
 サークルに入ったりするのは
 どんな感じなのか興味があって、
 人の後ろに隠れて覗いてみたらどうなんだろう?
 なんてことばかり考えていた。
 2ヶ月もしたら、
 ま、どーでもいいか、
 あいつらみたいになりたくねえもんなっていう。
 一人になるのが怖いから、
 集団で行動をともにする、
 その結果、自分というものを失ったり、
 一人で好きなように動けなくなる、なんて
 冗談じゃないと思った。
 自分らしさを表現する手段が、
 Tシャツにプリントされた文字しかないなんて
 哀れだよ』

 (rockin'on 1999年10月号 p.21)

――これも1994年、あるいは96年の、トレントの言葉だ。

きっと、そういうことなんだろう。
独りぼっちであれだけのことをやってのけたトレントに、
孤独だった僕は憧れていたんだろう。

そして今(というか『FRAGILE』作成時)、
トレントはおそらく自分自身を見据えることに成功した。
自分と、自分を取り巻く環境との関係に
諦念からではない1種の見切りをつけたのだろう。

CROSSBEAT、2000年1月号のインタビューで、
『FRAGILE』における人間的成熟のきっかけを問われ、
トレントはこう答える――

 『そうだね、それは……
 「ダウンワード・スパイラル」のツアーの
 最後の辺りで気付いたんだ……。
 あの頃の僕は相当惨めな状態で……
 そしてとても……空っぽだった……。
 あれが、僕が
 「自分一人で何でも出来る」と感じていた
 最後の時期だったね。
 自分は誰も必要としていない、
 誰も要らない、
 神も要らない、
 友達も要らない、
 僕に必要なものなど何もない、って思ってた時期の……。
 僕はあらゆる方法で自分を破壊しようとしていた。
 そして……
 自分がめちゃくちゃな道を
 突き進んでいることを理解していた。
 その道は……ただひたすら荒涼とした
 酷い場所へと続いていたんだ。
 でもね、
 自分自身の内のある部分では、
 「僕はこんなところにいたくない」
 「もっといい人間になりたい」と気づいていたんだよ。
 そして悟ったんだ。
 僕には他の人々が必要だ、
 僕には友達が必要だ、
 僕には仲間が必要だ、
 僕には……そういったものが必要だってことにね……』
(p.28)

少なくとももう、僕の隣に彼は居ない。
あるいは、僕の方が彼と離れたのかもしれない。

僕の心は落ち着きを取り戻し、
思春期みたいに何に対してもイライラする、
なんてことはなくなった。
1人で過ごす時間が絶対必要という1面は今もあるけれど、
それと同じくらいに誰かと一緒に過ごす時間も必要だし。
人並みに普通の生活を送ってる(もとからそうだと思うけど:笑)。
そんなわけで、今の僕にとって、
NINのサウンドはかつてほどのリアリティはない。
妄信的な執着もなくなったように思う。

でも、今でもトレントは僕のヒーローだったりする。
かつて彼が奏でたあの「闇」は、
一時的にしろ弱い僕を優しく包み込んで、安心させてくれた。

「暗黒大魔王」なんて。
そんな風にトレント・レズナーのことを呼ぶ人は、
もう誰もいないのかもしれないけれど。

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参考・引用文献
天井潤之助, 坂本万里子, 其田尚也, 前田昌彦, 宮嵜広司. 2000. Nine inch nails.
 rockin’on, No.3, 16-21. ロッキング・オン

今井スミ, 保科好宏. 2000. Nine inch nails.
 CROSSBEAT, No.1, 24-33. シンコーミュージック.

大谷英之. 2002. Nine inch nails.
 CROSSBEAT, No.2, 50-57. シンコーミュージック.

Jonathan Gold. 鈴木あかね(訳), 宮嵜広司(構成) . 1999. Nine inch nails.
 rockin’on, No.10, 16-21. ロッキング・オン

Jonathan Gold. 1999. Nine inch nails.
 BUZZ, Vol.21, 58-63. ロッキング・オン

春日武彦 2000. 『不幸になりたがる人たち - 自虐指向と破壊願望 - 』 文春新書.

妹沢奈美. 1999. Nine inch nails.
 極楽ロック月報, Vol.33, 3-6. ユニバーサル ビクター.

鹿野淳. 1999. Nine inch nails - the days Trent Reznor was there -.
 BUZZ, Vol19. 76-85. ロッキング・オン


2002/10/18 (最終修正日:2003/11/08)
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