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STARDUST #2 / SEASON OF TWILIGHT

季節はどうやらすっかり秋になったよう。
むしろ冬の訪れを感じる日すらある。
ホントいきなりなんだけど、
僕が四季の中で一番好きなのは、「秋」だったりする。

なぜ、かはよく分らない。
空気が他の季節とは違う気がするのは、
僕の気のせいだろうか。
見上げた空が、水色よりもっと薄い水色だったり、
淡いうろこ雲が出ていたりして。
僕はその空の下に立っていて、
ほんのり寒い風に身をさらしている。
鼻から空気を思いっきり吸うと、
思考がクリアになってくる気がする。
そんなとき。
あるいは薄紫に日が暮れかかった町の中、
電柱の外灯が灯り始め、
買い物帰りの人たちが自転車で通り過ぎる。
遠くからかすかな喧騒が聞こえるけれど、
それはまるで別世界の音のよう。
疲れた様子で犬の散歩をしている人もいて、
キャッチボールをしていた子供たちは、
ボールが見えなくなり始め、
家に帰ろうかと考え始める。
そんなとき。
またあるいは、日が暮れてから家に帰り、
暖かい家の中、窓を少し開け、
入ってくる外の冷たい空気を実感し、秋を頭に思い描く。

そんなとき、僕は何かを思い出しそうになる。

作家の重松清さんの著書に、
『カカシの夏休み』というものがある。
その中に「ライオン先生」という話がある。
(これはご存知の方もいるように、
テレビドラマにもなった)。
主人公のライオン先生(なぜ“ライオン”かは触れずにおく)は、
中年の高校教師だ。
若い頃は、校長や学年主任や生活指導の先生に
食ってかかるような、熱血的な先生だった。

 『強かった。世の中のあらゆるものに立ち向かう覚悟があった。
 風に立つライオンのように』


ライオン先生は生徒の側に立っていた。
そして生徒の側もそんな先生についてきた。

でもライオン先生は、最初の異動先で空回りし始めた。

 『生徒たちは勉強ができるぶん、
 授業に対して冷めていた。
 教師に対しても、学校そのものに対しても』。
 『こっちが話しかけても、
 感情のはっきりしないのっぺりとした顔で、
 「さあ……」と返し、
 「そっすね」とつまらなそうに笑うだけだ』。
 『自分は生徒の味方のつもりでも、
 振り向くと肝心の生徒たちはいない。
 遠く離れたところで、興味なさそうな顔をしている。
 彼らは皆、従順で、しかし素直というのとは違う、
 管理に反発するほどの思い入れすら学校に対して持たずに
 三年間の高校生活を過ごしているのだった』。


…………。

きっと、僕もそんな生徒だった。
中学も、高校も。
わざわざ校則違反をして、
敢えて教師に立ち向かう人の気が知れなかった。
高校時代には、
「帰宅部は家に帰るまでの時間を競う部なんだ」
なんて、軽口たたいて、帰宅部の自分を笑っていた。
当り障りない、
そんな言葉がぴったり当てはまる生徒だった。

今年になって、
僕は地元に帰ってきた。
フリーターとして暮らす中、
職場(バイト先)で懐かしい顔をいくつか見かけた。

客としてやってきたのは、
小学校5、6年生のとき、
隣のクラスの担任だったA先生(男)だった。
僕のクラスの担任だったB先生(男)とA先生は
確か同期だったはずだ。
2人はまったくの新人、もしくはそれに近い状態で、
僕らの小学校にやってきた。
歳が同じせいだろうか、ときおりは廊下などで
親しそうに話をしていて、
2人の仲の良さをうかがわせた。
僕らの担任が三枚目だったのに比べて、
A先生は二枚目だった。
ハンサムではないけれどカッコよく、
スポーツも得意だった。

そんなA先生を職場で見かけた。
小学校卒業から実に13年が経過していたけれど、
僕にはA先生が分った。なぜだろう。
家族同伴で訪れたA先生は、
少しお腹が出ていたけれど、
顔も髪型もまったく変わっていなかった。
そして、当たり前だけど、
A先生は僕には気づかなかった。

中学2、3年生のときに担任だった
C先生(女)もまた、職場で見かけた。
これまた家族同伴で、
旦那さんが赤ん坊をおぶっていた。
そう、C先生は僕らの卒業後しばらくして、
職場結婚したのだった。
赤ん坊を連れている姿を見たとき、
僕らの担任当時のC先生は
まだあの頃若かったのだなと、
ふいに実感できた気がした。
ヤンキーっぽい物腰が印象的だったあの頃と比べ、
妙に大人びた感じにも見えた。
中学卒業から10年、
「教師と生徒」という枠が存在しない今になって、
なぜC先生から「大人」を感じたのだろう。
所詮中学時代の僕には、
「先生」は「先生」でしかなかったのか。
担任だったC先生もまた、A先生と同様、
僕には気づかなかった。
ひょっとしたら気づいていたかもしれない。
しかし、気づいたならきっと声をかけてくれるような、
そんな人だった。C先生は。

トモダチにこのことを話したら、
「『こんなとこでフリーターやりやがって』って怒って、
 それで話し掛けてくれなかったんじゃん?」と言われた。
ホントかよ?

確かに僕も見た目は変わったし、
いかに担任だったと言えど、
C先生も毎年大勢の生徒を受け持っているわけだから、
いちいち全員の顔など覚えていなくても不思議はない。
僕など覚えていなくても、不思議はない。
しかし、と僕は考える。
僕がもし、「当り障りない」生徒でなかったら。
学校という場所に対して熱意を持っていたなら。
そうしたら、
C先生は僕に気づいたろうか。気づいたかもしれない。
「ひょっとして○○?」なんて声をかけて。
そして僕らは「懐かしい!」なんて言いながら、
思い出話に花を咲かせたかもしれない。
実際はそうならなかったけれど。
それがなんだか少し、ほんの少しだけど、悔しい。

僕は確かに、
管理に反発するほどの思い入れすら学校に持たない、
熱意のない生徒だったかもしれない、
だけど、それでもやはり、いやそれ故に、かもしれないが
学校行事にはそれなりに参加していたんだった――

中学、高校と、
秋には毎年文化祭・体育祭があった。
体育祭については、いろんな競技の練習をした。
ムカデ競争だったり、長縄跳びだったり。
リレーのバトンの渡し方だったり。
特にムカデ競争は、全然皆の足が合わなくて、
本番ギリギリの日まで練習していた。
文化祭では、演劇に使う小道具の準備や、
その芝居(大袈裟な表現だ)の練習もした。
クラスメイトの家の物置みたいなとこで、
夜遅くまで打ち合わせしたっけか。
指示ばかり出して先輩面するD(男:脚本・演出)に対して、
後輩のE(男)がぶちきれたこともあった。
Eはすぐに謝ってたけど。緊張の一瞬だった。
そして僕はと言えば、
人生初めての劇らしい劇ということで、
台本読みも緊張しまくりだった。
みんなの前で出す声が震えていたかもしれない。
今思い返せば、というか当時から思ってたけど、
Dの脚本はとてもお粗末だった。
まるで筋らしい筋はなくて支離滅裂だったけど、
僕には一応セリフってやつがあったのだった。
ここで一応言っておくと、
(みなさんの予想に違わず)僕は望んで劇に出たわけではなかった。
学園祭に背を向けていた僕は、
何の役割も持たずにその準備期間および当日を
乗り切ろうとしたんだった。
しかし、だ。
学園祭の打ち合わせをしたホームルームで、
演劇の出演者を決めるときだった、みんなが嫌がるので、
学級委員が「まだ何もやってない人〜」と訊いたのだった。
僕が渋々手をあげたら、該当者は僕とあと2人くらいしかいなかった。
そして何でか僕が演劇に出る羽目になったのだった。
しかし、この演劇を当日無難にこなしたおかげで、
当時僕の方から一方的に苦手意識を持っていた委員長のF(男)が、
学園祭後から妙に親しげに話し掛けてくるようになった。
きっと僕がろくすっぽ演技もしないもんだと思っていたのか、
あるいは当日に逃げ出しでもすると思っていたのか、
とにかくFの予想に反した成果を僕があげたのだろう。
それゆえFは僕に好意的になったのだと、そう推測している。

そうだ、学校行事と言えば競歩大会もあった。
その時期の体育の授業では、走ってばかりいた。
何なく走ってしまうヤツもいたけれど、
僕は長距離、苦手だったっけ。
学校の外まで走って練習するのは、少し好きだったかな。

競歩大会、
高校3年のときは、結局走りきらずに終わってしまった。
それで後日担任に「もっと頑張れぇ!」ってケツに膝蹴りを
食らったんだった。清掃時間。僕が1人のときを見計らって。
あれは割とマジだった。

競歩大会のルートは、傾斜の激しい山道を通っていた。
周りを見回したら、目に入るのはとにかく木々。
そして頭上には大きな青い空。
自然をしごく身近に感じられた。
季節が秋ということで、山に入ると、
黄色に色づいた葉っぱたちが自己主張している、
そんな場所もあった。

競歩大会と言えば、
ひとつ強く記憶に残っている出来事がある。
あれは何年生のときだったか。
その日は風の強い日だった。
僕は複数人のトモダチと共に走って(歩いて)いた。
そこは舗装はされているものの、かなりの坂道で、
体力のない僕らには歩いて上るのがやっとだった。
でもあんまりタラタラ歩いていると
設定されている制限時間に間に合わないので、
僕らは各自ある時点で見切りをつけて、
「この坂を登れば次は下りに違いない!
俺はここから走るぜ!アバヨみんな!」と
猛スパートで坂を駆け上ったりするんだけど、
そんなときは決まって、曲がり角の先、
眼前にはさらなる上り坂が立ちはだかるのだった。
そんなときの僕らは意気消沈して、
坂道のアスファルトの上に大の字になって寝転がったりもした。
そんなことを繰り返しながら坂を登っているときだった、
その日はもともと風が強かったのだけれど、
一際強い一瞬の風が、僕らの間を吹きぬけた。
風は髪の毛の間を抜け、汗をかいた頭皮をなで、
僕らを涼しくしてくれた。ヒンヤリと。
と、次の瞬間、僕らの左手、ガードレールのすぐ外側に
生えていた木々(銀杏?)から、黄色の葉たちが舞い落ちた。
かなりの量だった。
それらは風に踊らされ、宙に舞い上がった、
そしてその後ろからはちょうど午後の強い日差しが差し込み、
舞い踊る葉たちを金色に染めた。
葉の間からこぼれ出た日差しは僕らの頭上に降り注ぎ、
金色の葉っぱたちは輝きながら、瞬きながら、ゆっくりと、
僕らの目の前を、流れていった――
僕らの目の前にあるのは、まるで金色の雨のようだった。
僕らは棒立ちでそれを見つめた――
その雨はすぐに止み、
その一瞬後に、僕らは歓声を上げたのだった、確か。
――他には大した思い出もないのに、
この出来事だけはよく覚えている。

ここまでダラダラ書きながら、
僕が秋を好きなのはなぜだろうと、漠然と考えてきた。
なぜだろう。
実は「みんなで頑張る」ってヤツが好きだったから?
学生時代にはツキモノの「共同作業」。
そんな作業は秋に多かったから。
(自分では、好きなつもりはまったくないんだけど。
事実、大学では学園祭は一回もいかなかったし。)。
だから僕は秋が好きなんだろうか。
でも、共同作業なんて、これから先に
行う機会はいくらもあるだろう。
そして僕はそれら――これから先の未来に行う
何がしかの共同作業――をイメージした場合に
決してよい気持ちになるわけではない。
若干の面倒くさいという気持ちすらある。
ということは、僕が秋を好きな理由として、
「共同作業が好き」ってのは何となく違う気がする。

そうだ、きっとキーワードは「思春期」なのだ。
僕は思春期が好きなのかもしれない。
甘ったれた成長過程。
ほとんどの人間が井の中の蛙(かわず)。
けれどあの時期には、過ぎてしまったら
もう二度と体験することのできない、
特別な何かがある気がする。
ある種の魔法のようなものが。
もしや僕はその魔法に焦がれているんだろうか。
もう一度あの魔法にかかりたいと思っているんだろうか。
でもそれは今では無理なことだから、
僕はせめてものあがきとして、
思春期に結びつく要素(音楽なり小説なり映画なり)を追い求め、
それらを引き金としてあの頃を回想し、
挙句の果てには何度もその記憶を反芻するのだろうか。
もしかすると、僕にとっては秋も
その「思春期に結びつく要素」なのかもしれない。

なぜって、
秋の空気は僕の心をからめとり、
僕の記憶をほじくりかえすのだから。
思春期だった僕の記憶。
甘い衣をまとった苦い記憶。
僕は今のところその甘さに酔いしれているけれど、
いずれ苦味すらも遠い過去からの後味に変わるときがくるだろう。
そのとき僕は、よりいっそう秋を好きになるのかもしれない――

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引用文献
重松清. 2003. 「ライオン先生」, 『カカシの夏休み』, 179-299. 文春文庫.

2003/11/08(最終修正日:2003/11/15)
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