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□99年 … syrup16g01 □99年 … syrup16g02
□99年 … FREE THROW □01年 … COPY
□02年 … coup d'Etat □02年 … DELAYED
□03年 … HELL-SEE □03年 … パープルムカデ
□03年 … MY SONG □04年 … リアル
□04年 … うお座 □04年 … I・N・M
□04年 … MOUTH TO MOUSE □04年 … BLACKSOUND / BLACKHUMOR
□04年 … DELAYEDEAD □05年 … 遅死10.10 - 日比谷野外大音楽堂 -
□06年 … 動脈 □06年 … 静脈
□07年 … GHOST PICTURES □08年 … syrup16g
□08年 … the last day of syrup16g
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Title … Free Throw
Number
01.翌日 / 02.sonic disorder / 03.honolulu★rock / 04.明日を落としても / 05.真空

Comment
記念すべきsyrupの1stCD。1999年リリース。当時のメンバーは、バンドの核にしてソングライターの五十嵐隆(Vo/G)、中畑大樹(Dr)、佐藤元章(B)の3人(佐藤氏はメジャーデビュー時に脱退)。現在は廃盤であるけれど、M-3以外は、後にリリースされたベスト盤『動脈』、『静脈』に、リマスタリングの上収録(さらに言えば、『delayedead』には、再録音して収録)。それらのいずれもが、後期にはライヴの定番曲となっていたようであるから、彼らにとっても、ファンにとっても、大事な曲が並んでいるわけですね。

以降と比べると、全体の空気感がまったく違う。心持がどうであったのかは、よく知らないけれど、蒼い感じが強い。大人になりきれない、なっていないが故の、無邪気さと、透明さ・純粋さと、青臭い諦めの匂いが強く漂っている。曲自体に重苦しさがないものだから、一聴すると、曲によっては何てことないインディーギターロックに聞こえなくもないが、M-4を聴けば、歌詞を読めば、このバンドが他とは一線を画していたことが分かるでしょう。

やたらと悲壮感が漂い始めるメジャーデビュー以降とは違って、涼しい顔してサラリと鋭いこと言っているイメージがありますが(まあ“ロックの暴力性”と言うか、激しい感じはここにはないよね)、それは何に起因しているのか。音楽で飯を食っていなかったからか。ディレイのかかった、ひたすらに透明なギターと、五十嵐さんの唯一無二の歌声が作り出す、人間関係に苛まれる者が迷い込むであろう、内省的なブルーワールド。この頃の音が好きって言うファンも多いんだと思う。蛇足だけれど、ジャケットには何がしかの意味を持っているであろう写真が並んでおり(知られた話だが、バンプ・オブ・チキンのメンバーも映っている)、いつかのインタビューで自分たちを比喩する言葉として口にしていたストリップ(=STRIP)という言葉がライヴ写真に付されており、興味深い。初めから最期まで、彼らは自身(たち)をある種の見世物と、捉えていたのかもしれない。加えて、がっちゃん(=GACCHAN:五十嵐氏の愛称)という言葉が、駱駝の写真に付されており、これは後の“落堕”の歌詞“ラクダみたいな顔して”と繋がってるなと、僕は思っている。勝手に。

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Title … COPY
Number
01.she was beautiful / 02.無効の日 / 03.生活 / 04.君待ち / 05.デイパス / 06.負け犬
07.(I can't)change the world / 08.drawn the light / 09.パッチワーク / 10.土曜日

Comment
1stフルアルバム! 2001年リリース。daimas氏のDAIZAWA RECORDSからのリリース。ジャケットに描かれている、鼻先が消えたような奇妙な犬の絵は、ベース(当時)の佐藤元章氏の手によるもの。またCD収納部分の面には、歌詞を英訳したと思しきものが、プリントされており、面白い(もちろん全曲じゃないのだけど)。

僕が初めて聴いたのは、この『COPY』だった。一緒に『Free Throw』も買っていたのだけど、ラジオで耳にした“生活”が聴きたくて、こちらから先に封を開けたのだった。彼らに対して抱いていたギターロックというイメージが、1曲、2曲と聴いていくうちに、くずれていったのを覚えている。M-1の静謐な空気、淡々としたリズム・メロディで繰り返される“She was beautiful”という、回想の言葉。そして2曲目の“本気出してないままで終了です”という、どうしようもない諦念。それらを歌うのが、五十嵐さんの、あの諦めきったような、覇気のない、それでも透明で美しい、澄んだ歌声なのだった。

その後の“生活”がもう決定的で、“君に存在価値はあるか そしてその根拠とは何だ”“生活はできそう? それはまだ 計画を立てよう それも無駄”。どうしても前を向けないその情けなさ、弱さ、無様っぷりが、抜群にPOPなメロディに乗せて、自嘲気味に歌われた。この曲(そして『Free Throw』収録の“明日を落としても”)で僕は打ち抜かれたと言ってもいいだろう。日々の不安、何てことない、誰でも抱えてる生きにくさを、これほどシリアスに(と言っていいかは微妙かもしれないけれど)、ダイレクトに口にしたバンドを僕は聴いたことなかった。しかも無様に自分を曝け出す形で。人によってはフェイクと捉える人もいたようだけれど、僕はまったくそんなこと思いません(当たり前)。

アップテンポな曲は少なくて、M-3,5,8,9くらい。でもバランスいい。彼らの持つ静と動の側面が、いい形でここにある。楽曲のバラエティ、そのバランス、循環するメロディの陶酔的な感覚、現実をときには必要以上に突きつける歌詞の鋭さ、インパクト。とっても気持ちが内側に向いてしまうのに、なぜこんなに中毒性が高いのか。名盤と呼ばれるのも納得です。

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Title … coup d'Etat
Number
01.my love's sold / 02.神のカルマ / 03.生きたいよ / 04.手首 / 5.遊体離脱 / 06.virgin suicide
07.天才 / 08.ソドラシソ / 09.パリで死す / 10.ハピネス / 11.coup d'Etat
12.空をなくす / 13.汚れたいだけ

Comment
2002年リリースの、ついにメジャーデビュー盤。メジャー1stアルバム。この時点まではベーシストは佐藤氏。以降はサポートのキタダマキ氏。

syrupの作品の中でも、音、言葉ともに、特にヘヴィな盤でしょう。ここに披露されているのは、メジャーというフィールドでやっていく上での鬱屈した心持。M-1からいきなり“My Love's Sold”“愛されたいなんて言う名の 幻想を消去して 沈むよ嵐の船”。いきなり沈むのかよ!って言う。そしてひたすらに自己と向き合う。自分に問いかける。自分を責める。“サイレンが聞こえてもまだ 歌うたっても いいの? 細菌ガスにむせながら 歌うたっても いいの?”(神のカルマ)、“くだらない事 言ってないで 早く働けよ 無駄にいいもん ばかり食わされて 腹出てるぜ”(手首)、“今さら何を言ったって 四の五の何歌ったって ただのノスタルジー 生ゴミ持ち歩いてんじゃねえ”(生きたいよ)、“歌うたって稼ぐ 金を取る シラフなって冷める あおざめる 辛くなってやめる あきらめる 他に何か出来る?”(ソドシラソ)、“天才だった頃の俺にまた連れてって いつのまに どこで曲がったら良かった?どこで間違えた? 教えてよ”(天才)。あくまでも五十嵐氏自身のことを言っているのだが、自分にひっかかるところがある人は、たちどころに、この潮の流れに、渦の中に、巻き込まれてしまうだろう。そして何かが変わってしまう、かもしれない。

相変わらずディレイのかかった、しかし層の厚くなったギターと、重みを増したライヴ感のあるドラムと、より前面で唸る、歌うようなベースライン、そして随所にあるアドリブ的な叫びに見られるテンションの上昇が、『COPY』とは空気感を別物にしている。重い。こんだけ振り切れているのに、メロディはPOPなんだから凄い。スンナリとはいかないが、聴けてしまう。いつまでも追いかけてくる過去と、コレでいいのか分からない現実と、先の見えない未来。逃げる場所もないから、後ろ向いてイジけてみたり、勝手にブチ切れてみたり。思考の右往左往する様があまりにも生々しい。

本人としては、「クーデター」は失敗したと、空回ったと認識したかもしれないけれど、それでも日本中に眠っていた潜在的syrupファンを覚醒させたことは間違いない。ネットで見る限りは、今も多くの人が最高傑作にあげるアルバム。

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Title … DELAYED
Number
01.センチメンタル / 02.everything is wonderful / 03.reborn / 04.水色の風 / 05.anything for today
06.サイケデリック後遺症 / 07.キミのかほり / 08.are you hollow? / 09.落堕 / 10.愛と理非道

Comment
ベースを担当していた佐藤さんの離脱を経て、五十嵐さんと中畑さん+サポートベーシストのキタダマキさんという、変則的な形態となったシロップ16gのメジャー2ndアルバム。2002年発表。前のアルバムからわずか3ヶ月しか経っていないリリースですが、ここに収録されているのは過去に作られた曲たちを録音したもの。そのせいかどうか、触感としては『coup d'Etat』よりもインディーズ時代の『COPY』に近い気がします。前向いてアグレッシヴに叫ぶと言うよりも、下向いてつぶやいてる感じ・・・。

それにしても前作とのこの対比っぷり、あのアグレッシヴさは皆無。例えるならナイン・インチ・ネイルズのライヴ盤に対する「STILL」のような、そしてスマッシング・パンプキンズにおける『アドア』のような、そんな匂いを感じます(作品に対するコンセプトまでは共通してないと思いますが)。もちろんここまでの彼らの作品を聴いてきても、楽曲の中に静と動があったのは確かですが、ここで聴ける楽曲はかなり静の方によってます。そしてこれはいたるところで言われていることですが、非常に美しいです、このアルバム。そしてかなり黄昏てます。センチメンタルです。ディレイのかかったギター以上に耳につく、すきま風のようにどこからともなくやってくるキーボードの音色。これがたまらなく郷愁を誘います。じーっと聴いていると、真っ暗な湖底に向かって落ちていく小石のような気持ちになります。すべてが遠ざかっていくような。だけど「これでいい」といったような黒い安心感があったり。でもそんな湖底に光を刺してくれるM-3の“Reborn”“一度にそんな 幸せなんか 手に入るなんて 思ってない 遠回りして行こう”“時間は流れて 僕らは歳をとり 汚れて傷ついて 生まれ変わっていくのさ”

僕はてっきり五十嵐さんは詞が先行する人だと思ってたんですが、Listen Japanのインタビューで――「実は誰も言葉を求めてるわけじゃなくて、その言葉を発してるその人の体温なり感触なりを求めてるわけじゃないですか。僕らの場合、それは言葉による“歌詞”じゃなくて、“音楽”なんですよ。それは凄くハッキリ伝えたい。そこだけはこだわりたい」――と言っていたのが意外でした。そして上のアルバムに「ただのポエムに〜」と以前コメントした自分を恥じました(すんませんでした)。そこにこだわっているのなら、決してポエムバンドになってしまうことはないと思います(そして実際ならなかった!)。

彼らのライヴを体験した僕は、彼らの持つ静の要素にかなり惹かれたわけですが、ここにはそれが詰め込まれています。個人的には傑作だと思ってます。殿堂入り。人生に翻弄される全ての人に、是非とも聴いて欲しい。

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Title … HELL-SEE
Number
01.イエロウ / 02.不眠症 / 03.hell-see / 04.末期症状 / 05.ローラーメット
06.I'm 劣勢 / 07.(this is not just)song for me / 08.月になって / 09.ex.人間
10.正常 / 11.もったいない / 12.everseen / 13.シーツ / 14.吐く血 / 15.パレード

[8cmCD]
01.落堕(live) / 02.coup d'Etat〜空をなくす(live)

Comment
前作からわずか半年(!)でリリースされたメジャー3枚目のフルアルバム。2003年。当初はシングル予定だったものの、バンド側の意向で何と15曲入り1500円のアルバムとしてリリース。初回生産分の内、1万枚限定で紙ジャケット&ライヴ音源を2曲収録した8cmシングルがついてきます。

聴いた感想を正直に言ってしまうと、今までのアルバムの方が僕は好きかなー。佐藤さん脱退後の新生シロップでレコーディングしたということも関係あるのか、今までと曲の雰囲気が少し違う気が。これまで印象的だったギターの揺らいだ音が、今作では直線的に寄ったようにも思えます。そんな曲のせいなのか歌詞のせいなのか音作りのせいなのか、今までより何となく純度が低い気がしてしまう…。今までが果汁100%だったら今回は70%みたいな(かなり有りえない果汁:笑)。そして黄昏感が減少して感ぜられるのは僕だけでしょうか。あぁ、そうか、シニカルさが強いね、うん。そして音がモコッとしているのがなあ・・・意識的なのは分かっているんだけど。

『クーデター』ほどには吼えておらず、『ディレイド』ほどには黄昏ていない。というか歌詞が濃いのかなあ…。今までよりもズーンと局所的にもぐりこんでる気がするので、それにビビッとくる人はガッツリつかまれてしまうのでしょうが…逆に浅く広く掘ってくれていない分だけ、僕には自分の生活に苛立ってる感じもモロに感じられないし、かといって感傷の海に溺れている感じも…あんましない。だから、僕の心の隙間にはピッタリはまらない=入り込めない感じなのです。BUZZのインタビューで五十嵐さんは『単純にバカなんだと思うんですよね。ポップな曲、今までだって持ってるんだからそれ出しゃいいじゃんて思うんだけど、今15曲を作んなきゃいけない。詞も同時進行で朝までレコーディングして帰ってそのまま詞書いて翌日レコーディング、それでもやっぱりやんなきゃいけない状況の中で、言い訳できない状況に追いつめられた時に何ができるかっていう勝負じゃないですか。それをやるって事で結果が出た時に、何の言い訳もできないわけですよ、自分の能力とか。そこにいたいんですよね』なんて言ってますが、そんなレコーディングで自分を深く掘りすぎたんじゃないですか、五十嵐さん!(笑)。

なんて文句ばっか言ってますが、曲単位で見ると全然見方が変わってくるんですけどね(笑)。M-2とか、M-6、7、8、それからM-9も、大好きです。そう、全15曲というのがtoo muchな感じを生み出しているのも事実。僕的には10曲でオナカいっぱいです(笑)。南無。ライヴ音源はアグレッシヴな曲が収められていますが、欲を言えば(言い過ぎだな)落ち着いた曲も入れて欲しかったー。

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Title … パープルムカデ
Number
01.パープルムカデ / 02.(I'm not)by you / 03.回送 / 04.根ぐされ

Comment
シロップ16g史上、初のシングル。2003年リリース。メディアから「初のシングル」とか自慢気に言われても、僕は別に彼らの曲が聴けるならアルバムだろうとシングルだろうと大歓迎なので、「何のこっちゃ」という感じです(笑)。

タイトル曲を初めてラジオで聴いたときは何か伝わってくるものがなくて、前のアルバム『ヘルシー』があまりピンと来なかったこともあって、「あ〜どんどん遠くなっていくなあ」なんて思っていたんですが、このシングル、通して聴いたらますますシロップ好きになってしまった(笑)!。まず、バランスが宜しい。動、静、エレクトロニクス、アコースティックと、顔色の違う楽曲が散りばめられていること。そして、切ない。どんな人生送ったらこんな曲を書けるのかってくらいに、切ない。M-1は少し歌詞が抽象的すぎる気がするんだけど、その後の3曲、これが誰にでも伝わるくらいに切ない。そしてその切なさを引き立たせているのは、M-1の“進め 三輪車/この坂の向こうまで/行け 行け 行け”“好きなことをやれ”という嘆きにも近い願いなのだろうと思う。あれがあって、このシングルの切なさは初めて出てくると僕は思う。

M-2、そのイントロで夜空の星のようにかすかにまたたくキーボード。そんな星を見上げることをうながす声のような、深いベース。“悲しみを追い払ったら/喜びまで逃げてった/あの日から僕は全力で 走ることをやめたんです”、フト吹く秋風のような控え目にして印象的なメロディに乗るその歌詞。切なすぎる。M-3はテクニカルな味付けが印象的な楽曲。機械的なリズムと浮遊する電子音。スターダストサウンドと言うと大袈裟だろうけど、この空気感に僕はどうしても流星を感じる。大宇宙からどこへともなく流れ、落ちていき、ほとんどが途中で燃え尽きる、流星。“すべてはここにあって/何もかもがなかった”“昇っているのでもなく 下っているのでもない/まだ遠い さまよい 目指す場所もない”。夢なんていくら持ったって、何一つかなわない。沢山持ったって何もないのと一緒―そんな風にも解釈してしまう。それにしてもこのサウンド、この時期のシロップだからこそできたことかもしれないけれど、いずれギターロックという枠だけでなく、バンドというフォーマットさえ逸脱した楽曲を聴かせてくれるんじゃないか、そんな期待を抱かせたナンバー。M-4ではアコースティックギターをバックにいきなり “俺の魂は根ぐされを起こしてしまった”と歌われる。 “可能性なんて無限大”“飛び立つのさ/自分の意志で放つのさ/この空の彼方を見てみたい”なんて歌いながら、その後に延々と“根ぐされる”と繰り返すこのやるせなさ。「ハッどうせ無理に決まってる」という自嘲気味の悲しい笑いが、見え隠れもする。アコースティックギターから一転し、ラストに垂れ流されるフィードバックギターの乾いた寂寥感がたまらない。ダイナソーJRの”alone”という曲を思い出したりした。

全力で走れなくても、“可もなく不可もなく”ても、それが僕らの日常で、これはどうしようもないことなのかもしれない。そう、シロップが歌っているのは実は「絶望」でもなんでもなくて、あきらめざるを得ない「日常」なんじゃないかと、そんなことを思わされた素晴らしきシングル。ということは日常を歌った彼らの歌が僕らの日常に刺激を与えているわけで…なんとも不思議なサイクルだなあ。

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Title … MY SONG
Number
01.my song / 02.タクシードライバー・ブラインドネス / 03.夢 / 04.イマジン / 05.テイレベル

Comment
「パープルムカデ」に続いて発表された2003年の作品。発売時には「ニューCD」とか、「ミニ・アルバム」とか、いろいろな表現で呼ばれましたが、僕的にはマキシ・シングル。

タイトル曲のM-1は、これまでシロップを聴いて来た人には必ず「オゥ?」と思っただろう。ラヴ・ソングではないか!これは。切なさ溢れるミドルテンポのギター、どこかマシーナリーながらも、暖かさを感じさせるドラムの音色、それに続いて五十嵐さんの“あなたを見ていたい”という声が流れた途端に、鳥肌が立った。やっぱり五十嵐さんの声はいい。改めてそう確信した。ストリングスやピアノの音色だって、今までにないくらい「真っ当」に使われている。産業的にすらに聴こえる。それが「狙い」であっても僕は構わない。それくらい、“my song”は素晴らしい曲だ。

本作発表時のインタビューを読むと、五十嵐さんは迷っているように思えた。というか何をすれば良いのか分らないようにも思えた。バンドとしての変革期に、ファンを裏切りたくないという気負いが重なったとでも言うか、非常にキワドイ心情が感じられた。その迷いの中には今までのファンを引き連れながらも、メインストリームに食い込むにはどうすれば、というものも見て取れた。その迷いが具現化したものが本作なのだろう。M-1と他の4曲の明らかな違いが、そのことを示している。なぜかイントロがペットショップ・ボーイズの楽曲に似た「哀愁」を感じさせたM-2では、求めたって何も手に入らない、というか手に入れたって失うから、何もしないで黙って待つという無気力さを歌い、M-3では、満たされた世の中でやりたいことやってても、それでもどこか満たされない空しさを歌い、M-4では、一般的な幸せ(“将来は素敵な家とあと犬がいて/リフォーム好きな妻にまたせがまれて/観覧車に乗った娘は靴を脱いで”)すら信じられない悲しさを歌い、M-5では、ひょっとしたら五十嵐さんの思春期の思い出かもしれない断片的なエピソードから導かれる“テイレベル”という自虐的・自嘲的な思考が歌われている。4曲いずれも見事なバンドサウンドであり、M-1とは打って変わってドロドロしている。その突き抜けながらも突き抜けてない感じは“パープルムカデ”に近いものがある。空は晴れてるんだけど、地面は泥沼、みたいな。泥沼を青空に浮かんだ太陽がギンギンに照らしている、後半4曲を聴いていたら、僕にはそんな光景が見えてきた(特にM-4で)。

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Title … リアル
Number
01.リアル / 02.うお座

Comment
Syrup16g、2ndシングル。2004年リリース。ジャケットには真っ暗な空間を浮遊するクラゲが映っていて、クラゲ好きな僕(水族館では、クラゲの水槽の前で、呆けたように見とれたりします)は、密かに嬉しかった。それに、「クラゲ」のイメージは、透明でユラユラ揺れるシロップの音楽にマッチしている気もする。

タイトル曲、“リアル”のイントロはいきなりエレクトロニクスを感じさせるので、正直驚いた。今作に近いところでは、「パープルムカデ」収録の“回送”で、テクノ的な要素をあからさまに導入していたので、シロップがこういった音を作ることに驚きはないんだけれど、前作「My song」が見事なバンドサウンドだったことから、バンドで音を出すことへの執着が感じられたので、それに続いて“リアル”みたいな曲がドロップされるとは思っていなかった。とは言っても、もちろん音は文句なしに素晴らしい。というか、カッコイイ。個人的にはこのドラムンベースっぽいサウンドと、決して明るくない歌詞、そして終盤に聴こえてくるアドリブっぽい言葉(「妄想、リアル」)、これらが喚起するイメージは僕の中でナイン・インチ・ネイルズの「パーフェクト・ドラッグ」と重なる。真っ暗なトンネルの中、遠くに見える光を目指して、モノすごい速度で爆走しているイメージ。けど全然光は近くならない、みたいな。僕はこういう曲は「カッコイイ」と感じるのだった…。何かチョット、これまでのシロップの楽曲に対する感じ方とは違うかなコレは。そんなカッコイイタイトル曲“リアル”に短所があるとすれば、音が機能的すぎて、歌詞がスルスルとこぼれ落ちていく点か。まったく心に引っかからないわけではないし、むしろ積極的に喚起された思い出もある。しかし、「歌詞を気にさせない」という意味で、この音は良くも悪くもヤバかった。(ちなみに、“リアル”にはギターでブラッドサースティ・ブッチャーズの吉村秀樹さんが参加。)

もう1曲の“うお座”は、アコースティックな楽曲で、音は生っぽいが、こちらも“リアル”同様に音へのこだわりを感じさせる。リズムにエイフェックス・ツインが使うような、有るか無いかの「引きつり」が聴こえるような気がするのは、僕の気のせいだろうか。メロディはシロップ節炸裂で切なく、「気持ちがないのに一緒になったもんだから、結局上手くいかなくて、残ったのは心の傷だけ」みたいな歌詞は、個人的に身に染みる(別に何があったわけでもありませんが)。あと、聴いてると絶対「今は外、雨降ってるな」と決め付けそうになる。

2曲しか収録されていないから、一概には言えないんだろうけど、歌詞が抽象的になっている気もする。できれば、観念的な精神世界には転げ落ちていって欲しくない、あくまで「日常」とリンクする歌を届けて欲しいなと、ワガママな僕は思ったもんだった。

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Title … うお座
Number
01.うお座 / 02.リアル

Comment
黄色い看板の有名レコードショップ、その中のさらに1部店舗のみで限定発売されたシングル。2004年リリース。収録曲名は「リアル」と同じ(曲順は逆)だが、こちらはいずれもversionがAlbum versionとなっている。 形態がシングルなのに、収録されているのがアルバム・ヴァージョンとはこれいかに。まあシングルにアルバム・ヴァージョンが収められるのは珍しくないけど、この「うお座」のリリースがアルバム『マウス・トゥ・マウス』より先であることを考えると、なぜこのタイミングなのかが少し不可解だった。しかも上の「I・N・M」と発売日は一緒。何が狙いなんでしょうか。まあコアなファン向けと言えば、それまでですが、それだけに地方のファンは泣きますな、このシングル。なかなか入手が難しい人もいるでしょう。

先にリリースされたシングル・ヴァージョンと取り立てて違いがなければ、わざわざここで取り上げることもしなかったでしょうが、表面的にはけっこう変化してますよコレは。まず、“うお座”はアレンジが豪華に(というか強く)なっている。弦楽器の音色が非常に厚くなって、頭を包み込んでくるし、ヴォーカルは空間的に広がり、どこかに吸い込まれて消えていくような残響感がある。リズムは依然マシーナリー(機械チック)、しかし「引きつり」はなくなった。そしてシングル・ヴァージョンでは最後に入ってきたパーカッションが途中で挿入されてくる。シンプルなシングル・ヴァージョンに比べて混沌としていて、よりシロップらしくなった…ような気がしないでもない。

“リアル”に関しては、もともとがテクノミュージックに寄っていただけあって、如何様にもヴァージョン・チェンジできたのでしょうが、基本的にはシングル・ヴァージョンと変わりません。ギターフレーズの位置や鳴らし方、リズムパターンの変化、ブレイクによるメリハリの加味とか、ここで聴ける変化はよくあるパターンです。すいませんが、「リコンストラクション」という表現は、僕は相応しくないと思う。僕はシングル・ヴァージョンと同じく、やはりどうしても「音」に耳が持っていかれてしまう。歌詞が二の次になってしまう。良くも悪くも、僕にはこの曲は「カッコいい」としか思えない。歌モノとしては聴きにくいです。思い切ってバンドサウンドでやるとかしてたら、歌詞の力が増したかも知れず、そうなれば俄然面白かったでしょう。ちなみに歌詞カードを見ると、ここで最後の部分の歌詞が「妄想リアル もっとSO REAL」であることが分ります。アルバム・ヴァージョンを聴いてからシングル・ヴァージョンを聞くと、アチラはえらくスッキリしている印象を改めて受けます。そしてやはりこちらのヴァージョンは「混沌」。

よく「ヴァージョン違い」とか「リミックス」という言葉に顔をしかめる人がいます。きっと「オマケ」的なにおいが嫌、つまりクオリティの低さを懸念してのことなのでしょう。あるいは特にリミックスはテクノ的な要素が加味されることが多いので、そのへんの音が嫌いな人は拒否反応を示すこともあるかもしれません。でも、僕は大好きなんですよ、「再考」もしくは「再構築」といった然るべき過程を経て新たな息吹を吹き込まれた楽曲たちは、ときにはオリジナルを超える輝きを放ちます。だからたとえばボーナストラックにリミックスなんかが入っていると、僕は非常に嬉しく思いますし、楽しんで聴きます。しかし、1つの楽曲にいくつもヴァージョンを作るということは、そのアーティストがそれだけ「音」にこだわっているということを示してもいると思います。もともと「音」にこだわっている(革新的なことをやろうとしたりする)アーティストがいくつもヴァージョンを発表したり、オリジナルでは歌と音をしっかり聞かせるアーティストが、他のヴァージョンでは「音」へのこだわりを特化して披露したり、スタンスは様々だと思うんですが、シロップがこのヴァージョン・チェンジの発表で、何を目指したのかが正直僕はよく分らない。 そもそも何のためのヴァージョン・チェンジなのか。アルバム『マウス・トゥ・マウス』にシングル曲(既発曲)が多いから、そのまんま入れるとつまらないから、ヴァージョン変えて入れておこうという理由だろうか。もちろん決してマイナーチェンジではなくて、コレはコレで完成されているのだけれど、だからといってリリースまでする必要があったのかは疑問の作品。だってアルバムに入ってるし。もしも本作がアルバム収録ヴァージョンともまた違うなら、ここからはシングルにもアルバムに入りきらなかった、シロップのもう1つの側面が知れるわけで、非常に興味深かったのだけれど。

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Title … I・N・M
Number
01.I・N・M / 02.ハミングバード

Comment
大手レコードショップ(って言うのかな)のみで限定発売されたシングル。2004年リリース。ここに収められている2曲とも次のアルバム『Mouth To Mouse(マウス・トゥ・マウス)』に収録されているので楽曲的な希少価値は低いのかもしれない。 けれど、「リアル」と対をなすこのジャケット――蒼い空間を浮遊する、暖色のクラゲ――と言い、「限定」という響きと言い、「リアル」を手にしたファンならば、こちらも手に入れずにはいられない。

『リアル』がプロデューサを迎えていたのに対し、こちらはセルフプロデュース、ということで、耳馴染みの良かった“リアル”をあざ笑うかのような、ドロドロネットリの唯我独尊ワールドが展開されるかと思っていた僕は、良い意味で裏切られた。POP。間違いなくPOP。非常に簡素で簡潔なバックトラックに乗って延々と披露されるのは、悩みに悩んだモノが思考の袋小路で見つけた、1つの突破口のよう。どんなに否定したい自分であろうとも、それを受け入れるというポジティヴィティ。I need to be myself. “I・N・M”の歌詞は、一見すると突き放しているようにも聴こえる。「君がなりたいというのなら/君でいれないというのなら/無視しきれないとまどいに/転がされてけよ もう一生」。自分自身で「いようとしない」くせに、自分で「いられないこと」にいっちょまえにとまどっている奴らは、一生そのまんまでいろと、そう聴こえる。違う自分を装って、かっこつけて生きてんじゃねえよコノヤローと。でもこれは反語的に言っているだけであって、実は「怖がってないで自分に向き合ってみろよ」と、そう五十嵐さんは言っているのではあるまいか(本人は否定するかもね…)。 「逃げたいキレたい時もある/別れを告げたい時もくる/逃げたい消えたいときもある」。けれどそれは「前を知るために精一杯」な自分だからこそ。そんな自分でも、逃げたりキレたりしても、精一杯生きればいいじゃないか(=俺は俺でいくぜ)と、そんなメッセージが僕には見え隠れした。ひょっとしたらこれは僕らへの言葉ではなくて、五十嵐さん自身の現状認識、もしくは一瞬の自己受容を表現しただけなのかもしれない。しかし僕はどうしてもファンに向けたポジティヴな力を感じずにはいられない。この>“I・N・M”が五十嵐さんの恒久的な心情なのかは分らないけれど、このようなメッセージを発した理由はどこにあったのだろう。「次の問いのそのまた後の/決してほどけない知恵の輪の/語りつくされた物語/書き写すだけはもうしんどい」。これだろうか。いずれにしろ、良い歌です。もし「リアル」と比べるなら、こちらの方が断然好き。言葉を追いながら聴いていると、フト涙がにじむ。

続く“ハミングバード”も、これまたともすれば「牧歌的」なんていう言葉さえイメージされてくる、ミドルテンポのアコースティックテイストな楽曲。「君だって僕だって/優秀じゃないから/たまにはこうやって/涙も出るよ」、「思い出せ 掘り起こせ/土ん中に 埋めたやつ/くだらなくて はずかしくて/そこに多分すべてがあったんだ」ささやかな自分への許しと、今の自分を形成した過去の出来事への回帰。過去は取り返しがつかないという意味では、過去に全責任を押し付けて、今の自分の有り様にクヨクヨしてもどうにもならない、だから「仕様がない」とあきらめるしかないのだ。「あきらめ」は決してネガティヴではない。「あきらめ」た自分も腐らずに受容できたなら、きっと未来は輝きだすだろうから。「セミだって花だって/悲しいと思える/人間の感性を/自分は愛している」。どんな意図があるのか良く知らないが、文面どおりに受け取ると、この“ハミングバード”からも、自分に肯定的な印象を強く受ける。ということで、今作は、新しいシロップの萌芽を感じさせた、あるいは見せたことのない1面を垣間見せてくれた、そんな素敵なシングル。

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Title … MOUTH TO MOUSE
Number
01.実弾(Nothing's gonna syrup us now) / 02.リアル -Album Ver.- / 03.うお座 -Album Mix-
04.パープルムカデ -Album Mix- / 05.my song / 06.mouth to mouse / 07.I・N・M
08.回送 -Album Ver.- / 09.変態 / 10.夢 / 11.希望
12.メリモ / 13.ハミングバード / 14.your eyes closed

Comment
シロップ16g、メジャー4枚目のアルバム。2004年リリース(すごいペースだなあ)。収録曲名は既発のものが目立つけれど、アルバム独自のヴァージョンに変わっているものも多いので、シングルを持っているファンもご納得でしょう。

ここまでシロップを聴いてきて、本作を聴いた人はきっと誰もが思っただろうけれど、楽曲、というか歌詞が変化してきている。明らかに。やはり『ヘルシー』で、自分の中の闇を、ある程度晴らすことができたということだろうか。“明日を落としても”の中で、「したいこともなくて する気もないなら 無理して生きてることもない」と歌った人が、“ソドシラソ”の中で、「悲しくなんて別にねぇ/はなから何もする気ねぇ/愛してるなんて言ってねえぜ/知らねぇ」と歌った人が、ここでは「やっかいなことばっかりさ/やる気は失せてくばっかりさ/それでいい そのままでいい/苦しまぎれで進もう/他にやることないじゃん」「意味が足りないと言うのなら/位置が見えないと言うのなら/知りたくもない自分とやらに/向き合うことしかない きっと」と歌う。「図鑑になんか載ってない/俺のは完璧なフォルムしてんだ 見てほら/一点のくもりもない/澄み切った空の日 羽ばたくんだ すげえ」と歌う。さらには「生きんのがつらいとかしんどいとかめんどくさいとか/そんな事が言いたくて えっらそうに言いたくて/二酸化炭素吐いてんじゃねぇよ」と歌う。 こういった悩みを振り払うような歌詞はもう、僕らが自分と重ね合わせてどうこうって言うよりも、五十嵐さん自身の「叫び」に近いものを感じる。変わりたい、変わってもいいんだろうか、変わっても俺は俺でいけるんだろうか、そんな感情がそこはかとなく漂う…(まあ本作発表時のインタビュー読むと、そんなに変わってもいなかったみたいだけれど・・・?)。もちろんね、これ聴いてそこにポジティヴな力を感じたら、それを糧に僕らは頑張ったりもできるんだけど。でもやっぱりいつにもまして私小説的。

楽曲も、攻撃的なもの、ヘヴィなものから流麗なものまで幅広く収録されているけれど、冷たさよりも暖かさの方が強い。だってこれを聴くと、メジャー1発目の『クーデター』が、どれほど攻撃的だったかがすごく良く分るし、そこから逆に、本作がどれほど温もりを持っているかが分るから。“実弾”の、妙に小気味の良いリズムが漂わす陽気、“mouth to mouse”の、大勢で酔っ払って馬鹿騒ぎした後、1人で家へ帰って床に寝転がってるときみたいな空虚感、エレクトロニクスをまぶした「バンドサウンド」へと生まれ変わった“回送”のドライヴ感(普通にカッコいい)などなど、印象的な楽曲は多いけれど、やっぱり誰にとっても突出しているのは、ラストの“your eyes closed”でしょう。「愛しかないとか思っちゃうヤバい/抱きしめてると死んでもでもいいやって/たまに思うんだ」なんて歌う日が来るとは!名曲。ちなみに僕は本作を聴くとき、失礼ながら、ほとんどM-6の“mouth to mouse”から聴きます。前半はシングルコレクションみたいで聴いてて居心地が悪くなるというのが、その理由です…。でも、どこから聴いても違和感ないのが本作の良いところかもなあ(金太郎飴的な意味ではない)。あえてランダムに再生してみるのも面白いのかもしれません。何にせよ、+(プラス)も―(マイナス)も、すべてひっくるめて歌い始めた、シロップの新たな門出を告げた、そんな作品。

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Title … BLACKSOUND/BLACKHUMOR
Contents
[DISC1:BLACKSOUND - LIVE DVD at 2004.1.30 SHIBUYA AX]
01.もったいない / 02.生きたいよ / 03.イエロウ / 04.生活 / 05.Sonic Disorder / 06.ソドシラソ
07.神のカルマ / 08.ex.人間 / 09.シーツ / 10.パープルムカデ / 11.無効の日 / 12.夢 / 13.正常
14.She was beautiful / 15.天才 / 16.coup d'Etat/空をなくす / 17.落堕 / 18.真空

[DISC2:BLACKHUMOR - CLIP集]
01.負け犬 / 02.天才(ワンカットver.) / 03.遊体離脱 / 04.神のカルマ(LIVE) / 05.Reborn / 06.落堕
07.coup d'Etat/空をなくす(LIVE) / 08.正常 / 09.ex.人間(モノトーンver.) / 10.イエロウ(LIVE)
11.パープルムカデ / 12.My Song / 13.リアル

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シロップ16g、初の映像作品。2004年リリース。初回限定で2枚組となっており、1枚目には2004年1月30日に渋谷AXで行われたライヴが、2枚目には主要な楽曲のビデオクリップが収録されている。早くに予約をして、難なく入手できた方も多いと思うが、僕はまったくその逆だった。予約時期が遅かったので、あわや入手不可能かと思われたのだ。どうやらメーカーにも在庫がないという状況が発生していたよう(!)で、そこから考えると、バカ売れしたのだろうか(?)。ということで、僕は親愛なる人の手を借りなければこの作品を入手できなかった。

収録されているライヴは実際僕も行ったものだし、その模様はライヴレポートの方に書いてるので、今さら改めて書くこともない。実際のライヴもかなりアグレッシヴな印象だったけれど、本作は、収録されている楽曲のせいもあるんだろう、よりアグレッシヴさが濃縮されているように思う。見事にあの日のテンションが封じ込められている。“イエロウ”“生活”を経て、“Sonic Disorder”と、会場の熱が徐々に上がっていく過程もきちんと感じられる。そしてブラッド・サースティ・ブッチャーズの吉村さんが参加してからの流れ(“She was beautiful”“天才”“coup d'Etat/空をなくす”)が何度観ても興奮する。後の“落堕”のハッチャケ振りも印象的だし、あの日の僕のビックリ具合も蘇るが、僕は“She was beautiful”“天才”の流れが1番好き、というかゾクゾクする。シロップのライヴを観たことがない人は本作を観てどう思うだろう。「へえ」と思うだろうか。「こんなライヴやるんだ」と。そういう意味で、ライヴを観たことある人も、観たことない人も、楽しめる作品だと思う。

ビデオクリップは新鮮だった。僕はネットにアナログ接続であり、受信に非常に時間がかかるから、今まで公式HP内のシロップのクリップも見たことがなく、ケーブルテレビの番組で2,3本見たくらいだった。本作でほぼ初めてと言って良いくらいにシロップのクリップに触れたわけだが…五十嵐さんが芝居じみたことをしているとは思わなかった(笑)。まさに新たな一面を見た思い。また、ビデオクリップってたいがいメッセージが直接的でないから、見る側次第で受け取り方が全然違ってくる。たとえば“Reborn”、これは何かメッセージ性がありそうな気がするのだが、僕はクスリとしてしまった(笑)。動物の剥製(はくせい)がいきなりポツーンと出てくると、「へ?」ってどうにもシュールな空気が漂って…(笑)。他に印象的だったのは、冒頭の“負け犬”と、次の“天才”で、五十嵐さんの顔がどこか違うこと。何かが違う。ただ単に年齢に因るものだけではないような気がする。“天才”で、急にアーティスト然としたオーラをまとっている気がするのは、なぜだろう。

2枚を通して観てくると、勘違いだと分っていても、シロップ、というか五十嵐さんが身近に感じられてしまう。それは「アーティスト」として自分よりずっと高みにいると思っていた、というか、憧れのようなものを持っていた人が、(それがたとえ錯覚であっても)自分に近く感じられるという意味で、僕はそれが嬉しくありつつも、何となく怖かった。自分に近づいて欲しいような、欲しくないような――こういうのは、ロックファン特有の「アーティストの神格化」なのかな(笑)。ずぅっと上にいて欲しいっていう。不思議な感覚だ。

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Title … DELAYEDEAD
Number
01.クロール / 02.inside out / 03.sonic disorder / 04.前頭葉 / 05.heaven
06.これで終わり / 07.翌日 / 08.i hate music / 09.もういいって / 10.真空 / 11.エビセン
12.breezing / 13.good-bye myself / 14.明日を落としても / 15.きこえるかい

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シロップ16g、2004年2枚目(!)のアルバム。とは言えど「まったくの新作」ではない。ファンの方ならご存知のように、廃盤となった『フリースロー』収録曲や、それ以前の楽曲たちを、再録音したものが収められている。コンセプト的に似通った『ディレイド』の続編的意味合いを込めて、そして言葉遊びも兼ねて、つけられたタイトルが『ディレイデッド』。ストック集から適当にチョイスand録音して、それを「新作」としてリリースするアーティストだっていると思うんだけど(別に「悪」ではないけど)、これまで、多くのストックを無視して、作品ごとに自分たちを追い詰めながら制作を行ってきたシロップには、これを「新作」とは言えなかったのだろう。そんなストイックさ(?)は素敵に思う。

ラジオでは「『DELAYED』とは対照的に、激しい曲が多い」という旨の発言を五十嵐さんはしていたが、聴いてみるとそうでもない。特に『フリースロー』収録曲以外では、M-2,6,11,15などは「シロップらしい」というと語弊があるかもしれないが、落ち着いた、メロディのはっきりした曲で、じっくり聴ける。そんな曲やそうでない曲にも共通して感じられるのが「ライヴ感」。収録期間が短かったことがライヴ感を生んだようだ。特に“sonic disorder”のイントロは、ライヴヴァージョンに近い形で、僕はその部分を聴くだけでゾクゾクする。“明日を落としても”も、初めは『フリースロー』に収録されているオリジナルの方が◎な印象を持ったのだが、何回も聴くうちに、本作の持っている生々しさ(特に演奏部分)に、その印象は覆った。もちろん、オリジナルの持つ独特の透明感も捨てがたいんだけど(笑)。また、まったく個人的な感想なんだけど、“エビセン”と“mouth to mouse”(アルバム『マウス・トゥ・マウス』収録)は同じ空気を放っていると思う。そして“エビセン”内の「手りゅう弾/小脇に抱え飛び出した」には、五十嵐さんの好きだという映画『太陽を盗んだ男』のイメージが重なった。どうでもいい話…だが。

と、そんなことより、当時僕が気になったのは、このアルバムを作った意図だった。本作リリースにあわせて公式HPに掲載された五十嵐さんのコメントを読むと、「あの頃の情熱をもう一度取り戻したい」みたいなニュアンスが多分に感じられたのだった…。『Mouth to Mouse』時のインタビューで、アルバムの出来に満足していないような素振りも見せており、その上ここにきて「何か足りないから昔の曲やって確認してみよう」的な心持になっていたとくると…、この時点で、もうシロップ16gというバンドにナニカガオコッテイタノカ…? 邪推かつ余計なお世話だとは思うけれど、心の歯車と表現の歯車が噛み合わなくなった(歌詞は書けても、それを歌うのに違和感があるとか)のかなあという気もしてしまったし…、単に走りつかれたのかなあとも感じた…。が、後日雑誌のインタビューを読むと、前作で愛とか歌ってしまったが、まだ毒を吐けることを示したいだけだったような印象もあったが(でもそうじゃなかったねきっと・・・)。

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Title … 遅死10.10‐日比谷野外大音楽堂 2004.10.10
Contents
opening‐01.クロール / 02.前頭葉 / 03.heaven / 04.もういいって / 05.これで終わり
06.水色の風 / 07.明日を落としても / 08.生活 / 09.翌日 / 10.good‐bye myself
11.sonic disorder / 12.真空 / 13.土曜日 / 14.きこえるかい / 15.遊体離脱
16.落堕 / 17.パープルムカデ / 18.神のカルマ / 19.空をなくす‐ending
Extra.翌日(PV)

Comment
2005年リリースの映像作品(DVD)。『delayedead』によってその活動の第1期を締め括ったSyrup16g。アルバム発表後に行われたツアーの最終日、2004年10月10日の日比谷野外大音楽堂でのライヴが、第1期のラストライヴとなった。本作にはその日のライヴを収録。初回版にはステッカーつき。

実際に演奏されたのは30曲なので、3分の1は収録されていないことになるが、曲目を見てみると、『マウス・トゥ・マウス』収録曲がほとんど外されている。確かに「delayedead tour」であるからして、『ディレイデッド』の楽曲中心てのも分る。また、作品にまとまりを持たせるという意味でも、ここに『ディレイデッド』とは異なるカラーを持つ『マウス・トゥ・マウス』の楽曲をポツポツ入れるとどこか浮いてしまうと思うので、それを避けたというのも分る。だから作品にとってはこのチョイスが正解なんだと思うが、僕はせめて“My Song”か“リアル”のどちらかだけでも入れて欲しかった…などと思いますが、他の方はどうなんでしょうか。さて、改めてライヴを観てみると、五十嵐さんはのどが疲れているのか、鼻の抜けが悪いのか、ところどころ声が出きっていない印象も受けるが、次第にそれは気にならなくなる。野外で色々目に入ってくるということもあってか、初めはどこかミスマッチ感のあった客席とステージの間が、会場に夜の帳が降りるのに合わせて、次第に一体となってくるあの感じ。バンドの演奏と楽曲が、客の1人1人をゆっくり魔法にかけていくようなあの感じ。この感覚があの日と同じで(当たり前なんだが)、非常にビリビリきました。必殺ナンバーの一撃でノックアウトするのではなくて、あくまでも全体の連なりでジワリジワリと会場を魅了していくのだが、だからこそ、何度でもその魔法にかかりたくて、鑑賞後ふと気が付くと初めから観直している自分がいる。

初めはカットの切り替えが激しくて、目が疲れるなコノヤローとか思っていたのだが(スイマセン)、“これで終わり”“生活”の、どこか切なさやはかなさを感じさせる導入部に重なる、会場の引きの画やビル群、それらが漂よわす郷愁(みたいな感覚)に見事に浸ってしまい、「やっぱうめえなあ」などと、最終的にはプロの映像編集テクニックに恐れ入っている自分がいました。こういった、楽曲と景色が重なることで感情が揺さぶられるのは、野外ならではだよなあとも思いました。

正直、ライヴを収めた映像作品としては、前作の『BLACKSOUND/BLACKHUMOR』の方が僕は良く出来ていると思うんですが、本作が記念すべき第1期の締め括りであるという点と、最後のendingの心憎く、そして嬉しい映像&演出に「おお」と思わされた点で、軍配はこちらに。1家に1枚、とは言いすぎですが、シロップファンにはマストアイテム(当たり前)。

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Title … GHOST PICTURES from live at HIBIYA YAGAIONGAKUDO. 06.03. 2007
Contents
- ghosts -
01.もったいない / 02.天才 / 03.ソドシラソ / 04.落堕 / 05.汚れたいだけ
06.shout to the sky / 07.空をなくす / 08.真空 / 09.reborn

- men -
01.イエロウ/ 02.i.n.m / 03.シーツ / 04.正常

Comment
第一期を締め括ってから、まったく新しい音源が出ないままリリースされたベストアルバム『動脈』・『静脈』を挟んでの、三作目のDVD。2007年リリース。同年6月3日に日比谷野外大音楽堂で行われたライヴから、アンコールと本編の数曲を抜粋して収録。別にライヴDVDに収められたライヴがバンドにとっての節目である必要はないと思うけれど、前作の『遅死10.10』がSyrup16gというバンドの第一期の締め括りであり、そのライヴ自体も、そしてDVDも、すばらしい出来だったことを思うと、この6月3日のライヴにも何がしかの意味を見出したくなるのが人情。でもバンド側がどんな気持ちを持っていたのか、分からないし(なぜなら何も語られていないから)、僕自身はそこに特に大きな意味を感じてはいない。

内容は2編に分けられていて、一方に[ghosts]、他方に[men]という、意味ありげなタイトルがつけられている。感覚的には[men]の方がオマケ的な要素なのか、再生を開始すると、なぜか締めの“reborn”が収められている[ghosts]からスタートする。それが終わるとタイトルに戻り、そこから[men]を選択して観るという流れ―“reborn”で締まった後に、残り4曲を観るという、違和感満載の流れであり、この構成に込められた真意を推測することは、すごく難しい(と思う)。しかも僕は[men]の方がビリビリくるものだから、余計始末が悪い。

改めて見ると、カメラが近いせいで、「あーこんな表情してたんだ」と分かる箇所もあり、興味深い(特に冒頭の“イエロウ”の前に、五十嵐さんが日比谷の観客を眺めた時の表情! 「あぁ来ちゃったなぁ…」っていうような、嬉しいような、苦いような、複雑な顔)。演奏は(と言うか、“歌唱は”かなあ…)、一言でいうと、粗い。収録曲が割りとアグレッシヴな曲調のものが多いということもあるかも?だけど、にしても粗い。でもここに入っているのが、あの日の中でもベターなものということなのかな(だから曲数少ないのか?)…だったら“パープルムカデ”は欲しかったな。“正常”が入っているのは正解。

一部では酷評もされているライヴだけど、そんな評価があろうとも、こうやってある種の宣言をしてしまったバンドはどうですか。何の宣言かって? だってタイトルは「GHOST PICTURES」=「幽霊の映像」=「心霊写真」、ということは、「ここに映っているのは幽霊」=「ここに映っているのは死んでいる人たち」、すなわち「俺ら(あるいは俺)死んでます」宣言(いや真意は知らないが)。まったく皮肉にも程がある。確かに“遅死”のツアーで、バンドはある意味1度死んだのかもしれないし、この直後に行われたEND ROLL Tourで、バンドはついに解散を発表した、そのことを考えると、この“GHOST”という言葉は、やはり死のイメージから来ているのかもしれない。そう、このDVDのリリース情報と前後して、ついに(3年9ヶ月ぶりの)オリジナルアルバムのリリースが告知されたのだが、これは仮死状態からの蘇生などではなく、ファンへの感謝。それが、彼らにとってのラストアルバムになるようだ。最後にあげる、大きな花火。

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Title … syrup16g
Number
01.ニセモノ / 02.さくら / 03.君をなくしたのは / 04.途中の行方 / 05.バナナの皮
06.来週のヒーロー / 07.ラファータ / 08.HELPLESS / 09.君を壊すのは
10.scene through / 11.イマジネーション / 12.夢からさめてしまわぬように

Comment
『Mouth to Mouse』以来、3年9ヶ月ぶりの、まっさらなフルアルバム。そしてラストアルバム。タイトルは、『syrup16g』。2008年リリース。

解散が決まってから作られたアルバムということで、僕が思い出すのはThe Smashing Pumpkinsの『マシーナ』(ちなみに彼らも武道館でフェアウェルコンサートを行いましたよね、僕行きましたよ。まあ7年後の2007年に彼らは再結成したけど)。あんま比較するのも違うと思いますが、“毒気”(のようなもの)が抜けているという点は、やはり共通かと。Syrupの場合、『Mouth to Mouse』からその萌芽はあったと思っているし、ものすごく濃い、ドロドロした液体がネットリと流れていくようなイメージは、アレ以降、僕の中ではなくなっていた。そういう意味では、このアルバムは確かに『Mouth to Mouse』以降。つまり過去の焼き直しではない。しかしこれが第二期syrupの真の姿だったのかどうか・・・今となっては知る由もない。何事もなく第二期が始動していたなら、このアルバムのような作品が産み落とされていたのだろうか。

“これで終わり”と思って作った『COPY』から走り始めた彼らの軌跡は、この作品で(おそらく)終わる。もういいじゃないかって、そう思う。よくぞここまで走ったと。こんなバンド(いい意味ですよ)長続きするのがおかしいんだから。“長距離走るの嫌い”って歌ってたじゃん。解散について「自家中毒」って言葉はあまり使われなかったけれど、少なからずそれはあったと思う。syrupらしさを追ってしまって、首を絞めていた部分は、あると思う。もちろん原因はそれだけではなかっただろうけれど。でもそれらから解放されるが故の何か、プラスともマイナスとも、そのどちらとも取れる感情が、ここには宿っているように感じるのです。悲しみ、切なさ、あるいは優しさ、終わることによって何かが始まるという希望。またあるいは、祭りの後のような、空しさ。まさに、万感。

きっと、本当に周囲への感謝が、彼の胸にはあったのでしょう。自分はニセモノだと感じたら本当にそう歌ってしまうくらい、音楽に自分を落とし込む彼のこと、ここにあるかつてない聴きやすさは、正直に、いろんな人への感謝の表れなのでしょう。もうこのアルバムでは、曲が、歌詞が、僕の生活の暗部に手を触れてくるとは思わない―僕の受け取り方なんだけど。そしてだから僕が、その手の感触に奇妙な安心感を覚えることも、ない、のかもしれない。ただ“イマジネーション”を聴きながら、かつてのその手の感触を、懐古気味に思い出すのです。あの手は、確かにニセモノではなかったと。

ただただ、いいアルバムです。「ラストアルバム」という重さに負けてない。

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Title … the last day of syrup16g
Contents
[DISC1]
01.きこえるかい / 02.無効の日 / 03.生活 / 04.神のカルマ / 05.I・N・M / 06.anything for today
07.イエロウ / 08.月になって / 09.負け犬 / 10.希望 / 11.センチメンタル / 12.明日を落としても
13.もったいない / 14.生きたいよ / 15.途中の行方 / 16.ex.人間 / 17.正常 / 18.パープルムカデ
19.天才 / 20.ソドシラソ / 21.Sonic Disorder / 22.coup d'Etat〜空をなくす / 23.リアル

[DISC2]
【encore】01.さくら/ 02.ニセモノ / 03.new song / 04.イマジネーション / 05.scene through
06.She was beautiful / 07.落堕 / 08.真空 / 09.翌日 / 10.Reborn

[DISC3《bonus disc》]
- document of last days -

Comment
2008年3月1日の日本武道館ライヴで、解散したsyrup16g。その日のライヴをまさかの完全ノーカットで収録し、なおかつ初回限定で、END ROLLツアーの舞台裏、武道館公演のリハーサル〜当日〜終了後までを収録したボーナスディスクつき。2008年リリース。

と、もう、言えることもないんですけれど(笑)。まあ。あの日の奇妙な空気感が、ここにありますね。ことによれば、当日よりも濃いものが。1万人以上がいるというのに、あの静けさ。“最期を看取る”という不謹慎にも思える言葉が、似合ってしまう。初めはただじっと、見守っているのだが、そのうちに、溢れ出るものが、みなの口をついて出て、それが会場に響き渡る。

随所で言われている、簡素な舞台設定。バックスタンドまで開放したことも要因かもしれないが、派手な演出もない。そのことが、武道館という、だたっぴろい空間を余計に際立たせる。大勢いるのに静かな客席。奇妙だ。武道館はライヴを見る場所ではないと僕は思っているが、その思いも、余計に奇妙さを浮き立たせる。バンド側は余計な言葉は発せずに、ただ淡々と、演奏していく。END ROLLで終わるつもりだったことを考えると、どうしても武道館は“エキストラ”というか、「最後にもういっちょやるか」的なイメージが強くなってしまうのだけれど、そして舞台上だけ見ていると、なんかあまりに淡々としているから、見えてこないものがあるのだけれど。けれど。ボーナスディスクに収録されている、舞台裏の、メンバーのあの満身創痍の姿。あれを見れば、この武道館にどれだけの想いを持って望んでいたかが分かるというものだ。

ライヴ自体について言えることは実はもう僕にはなくて、DVDサイドについての意見になるのだけれど、途中で差し挟まれるファンの姿―たとえばそれはメンバーの後ろに見えるスタンド席だったり、手を叩く姿だったり―が、胸を打つ。どれだけの人が、彼らの最後を見たくて、見に来たかが、分かって、そこにあるであろう想いが、バンドをここまで引っ張ってきたんだなって、そう思って。

“あの日”のあの時間の、始まりから終わりまでが、少しも削られることなく、ここにあって、それはバンドが終わった今も、僕らが武道館を去った今も、みんなが年をとっても、変わらずに、ここにあり続ける。永遠に。「思い出」でも「記録」でも、言葉は何でもいいけれど、あの日を残すのであれば、この形で残すのが、残すしか、なかったと思う。そして僕は、この作品を見て、ようやく、バンドの終わりを認識した気がする。もう、これ以上、新しい何かが出てくることはないんだなって。自分の中にある彼らの思い出も、ここで止まるんだなって。過去の何かが穿り返されることはあるかもしれないけれど、新しいものは出てこない。ライヴもない。今、自分の中にあるものが、彼らのすべてになる。もう彼らについて、“これ以上”という可能性は残されていない。それが分かってしまって、とても悲しくなった。

トゥー・マッチだったバンドの、トゥー・マッチなDVD。でも、僕(あるいは僕ら)は、それを求めてた。最後まで、応えてくれて、ありがとう。大好きでした。いや、これからも。本当にありがとう。

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