2005.05.07‐「SYRUP16g in LIQUIDROOM ebisu」


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2005.05.07‐「Syrup16g in LIQUIDROOM ebisu」 Home ◆Set List

何かが、何かが違う。
そんな気がした。
あまり僕はライヴに行く方ではない。
そんな僕が、シロップのライヴにはよく行っている方だ。
この日は、これまでと、何かが違う。
そう思った。
去年の「delayedead tour」で第一期を締め括ったSyrup16g。
だがその後もさして休むことなく、
彼らは活動を続けている。
年末のカウントダウンジャパン。
および2月のジャパンサーキット。
4月にはロフトのイベントにシークレットゲストでも出演した。
で、今回のツアー。
コレ以降、年内にまたシロップとして
ライヴをやるのかどうかは、現時点ではわからない。
それこそ本腰入れて長い休眠に入るのか、
サクッと新曲を形にして、僕らに届けてくれるのか。
いや、今回のツアーが第二期の始動を告げるものかどうかすら、
僕にはよくわからないのだが。
そもそも、第一期とか、第二期とか、そういうことが
今の僕のこのモヤモヤに関係あるのか…。
なんだ、何が違う。何だ。

新曲の歌詞は、聴き取れたものも聴き取れないものもある。
後者の方が多いだろう。
ギターが激しい曲の歌詞はほとんど聴き取れなかった。
ところどころ、単語が聴き取れるだけ。
新曲はまだ確かな形になっていないわけだし、
歌詞は今後まだ変化していく可能性もある、
おまけに僕は不確かにしか記憶できていない、
そんな状態でいろいろ考えるのは危険なことだけれど、
新曲はどうだろう、
明らかに『マウス・トゥ・マウス』以降の流れと捉えて
違和感のない楽曲もある。

 「雨が降って 傘を差して それでもう■■で
 だけど 心にさす傘は いつも頼りなくて
 だから僕らは涙を流すのかな 悲しみに溺れないように」

 「小さくて ちっぽけな僕たちは ■■ないように生きている
 小さくて ちっぽけな僕たちは ひとりぼっちになったらまた旅に出る」

 「僕が見たいのは 君の笑顔
 宇宙の神秘など どうでもいいさ」

一部だけ抜粋して単純に前向きとか言えないが、
でも僕はこんな歌詞を持った歌に光を感じる。
メロディも素晴らしい。
五十嵐さんのメロディセンスがいかんなく発揮されている。

今の僕(あくまで今の)は、シロップには、
五十嵐さんには、こういった唄を歌って欲しい。
人生は流れていくもんで、
いいときも悪いときもあるもんで。
たとえば僕らが人間関係に悩むのは、
よりよい生き方を目指すからで、
どうにかしてうまくやっていきたいからで、
そういった「生活」を求める心があるからで。
ある程度悩んでも、どうもならんと腐ったりもするし、
開き直ったりもするし、それで何がしかの解決に
結びつくこともあるけれど、
悩みの裏には、何かを求める心があるってこと、
悩みの先にあるのは、決して悪いもの、
マイナス方向の未来だけではないこと、
つまりは、「だけど」の部分を歌って欲しいのだ。

この、「だけど」って言葉の意味・ニュアンスを説明するために、
今回の文章はここから
一旦「ライヴレポート」を大きく逸脱する。すいません。
でもまあたまには逸脱もいいだろうと思うので書く。
最終的には、僕の言いたいことに結びつけるから。

◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇

僕の好きな作家さんに重松清(しげまつ・きよし)さんがいる。
重松さんの短編集に、『日曜日の夕刊』というものがあり、
その中の一編に、「桜桃忌(おうとうき)の恋人」というものがある。
すいませんけど、以下で数箇所引用させていただきます(橙字の部分)。

主人公は大学生の広瀬。国文科。
彼の人柄は、、そう、
オトタケさんの『五体不満足』を読んで、
カンドー」するが、けれど、
オトタケさんのことは
えらい(偉い)から好きになれないヤツ。
でもオトタケさんのことを
好きになれない自分のことはもっと嫌いで、
自分を嫌う自分のこともすげー嫌いで、
嫌いだ嫌いだと言い続ける自分が、果てしなく、嫌い。
彼はそんな自分を「激マジウルトラバカ」と言う。
そんなヤツ。

国文科のクラス名簿を作る際、
彼は好きな作家の欄に、
「女の子」にモテそうな作家の名前を列挙する。
 「宮沢賢治、中原中也、梶井基次郎、太宰治、
 村上春樹、村上龍、山田詠美、吉本ばなな、江国香織、
 馳星周、京極夏彦……。

彼はこれで国文科の女の子がひっかかってくると思い、
その考えは的中する。
が、声をかけてきた女の子は、太宰治の熱烈ファンで、
広瀬が「太宰」の「宰」の字を間違えた――
ウカンムリの下を「辛」ではなく「幸」と書いていたことに、
腹を立てていただけだった。
広瀬は、太宰をなめてるのかと鼻息荒くせまる彼女を静めるために、
とりあえず浮かんだ言い訳を述べる。
と、意外や彼女はそれを間に受け、関心。
そして彼女の態度がガラッと変わる。
そして、広瀬と、彼女――永原ゆかりとの不思議な関係が始まる。

太宰の熱烈ファンの永原ゆかりは、
私って山崎富栄に似てない?」と広瀬に言う。
太宰をろくに読んだこともないくせに
永原ゆかりに適当に話を合わせる広瀬は、
それが誰かわからず、頭の中で、
モーニング娘。のメンバーだったかなと、勘違う。
だが山崎富栄は太宰治が心中した相手。
広瀬は自分が、
永原から「太宰の生まれ変わり」という称号を
授かってしまったことに、次の日に気づく。
と同時に、学内で、永原ゆかりにまつわる逸話が
広瀬の耳に次から次へと入ってくる――、
1.永原ゆかりは広瀬より8歳年上の、
 留年続きの、今回が8回目の1年生。
2.毎月6月半ば、太宰が玉川上水に身を投げた頃、
 永原ゆかりは自殺を図る。
3.7年前には、太宰ファンを自称する同級生の女子に、
 剃刀で手首を切った傷を見せて、
 「あんた、太宰のために死ねるの?」と迫った。
4.その翌年、太宰研究者の第一人者の教授の講演会に乱入、
 「死の誘惑を理解できない輩に太宰を語る資格なし!」と
 わめきちらした。
5.さらにその翌年、芥川賞が欲しかった太宰の無念を晴らそうと、
 歴代芥川賞受賞者に「芥川賞を返上せよ」との手紙を送りつけた(らしい)。
6.高校時代、『男はつらいよ』のタコ社長が
 「太宰」を名乗るのが許せなくて、
 故・太宰久雄さんに芸名を変えさせるための
 署名運動をしていた(噂)。

この逸話だけで充分に永原さんがヤバイ人だと分る。
そんな人物に「太宰の生まれ変わり」にされた広瀬。
広瀬は永原となるべく会わないようにしつつも、
彼女は広瀬をドンドン太宰にしていく。
広瀬の仕草、考え、行動を、いちいち太宰のそれに結びつける。
そして彼女は、休日の予定でも訊くみたいに、広瀬に言う、
それで、広瀬くん、いつ死ぬの?」。

友人にこのことを話した広瀬の頭に「死」の文字がよぎる。
ことによると「無理心中」だってありえる。
相手が数々の逸話を残す永原ゆかりだから、
笑いごとですまされない何かが、ある。
友人と話した結果、広瀬は逃亡を考える。
アパートに帰らない。
友達の家を泊まり歩く。
携帯の番号を変える。
永原を見ると「ソッコー」で逃げる。
6月が近づくにつれ、永原の周りには死のオーラが立ち込める。
顔は生気をなくし、足取りも重くなり、
歩きながら何かをつぶやいているときもある。
毎年の自殺決行日は、太宰治が山崎富栄と玉川上水に身を投げた
6月13日から、遺体が発見された19日の間。

巻き添えを恐れ、北海道に逃げようと思った広瀬は
生協で旅行雑誌を買って外に出た瞬間、
永原にバッタリ会ってしまう。
広瀬はごまかそうとするが、結局、
6月に旅行にでも行こうかなと思っていることを、
おそるおそる永原に話す。
が、意外、永原は、
 「あたしは1人でいいから」と言う。
 「そのかわり、ずっと忘れないで。
 あたしのこと、ずーっと覚えてて。
 背負って、生きていって

そう言って、彼女は手を振って去る。

この言葉の意味を友人と考えた結果、
広瀬は、永原ゆかりが、
「広瀬を『心中の生き残り』にしようとしている」のではないか?
との結論に至る。
そう、太宰治は何度も自殺未遂をおこしている。
2回目の自殺未遂のとき、
彼は女給と共に投身自殺を図るが、失敗、
自分だけ助かってしまっている。
このことを受けて広瀬は友人と考える――、
つまり、永原ゆかりが自殺を図るときに
たとえ広瀬がどこにいようとも、
永原的には広瀬は「生き残り」になるわけで、
「太宰の生まれ変わり」である広瀬は、
(心中しないまま)太宰のように生き残っても、
何の問題もないわけだ。
なんて「強引な理屈」。「非常識な発想」。
だが相手は永原ゆかりなのだ。こんな屁理屈だってありだ。

逃げたって無駄。
永原が死んだら、
自動的に広瀬は「生き残り」になり、
否が応にも永原の死を背負って生きることになる。
広瀬は、いったい太宰の何が
永原をそこまでの行動に駆り立てるのかと思い、
太宰の作品を読むことにする。
そして見事に、ホントに見事に、ハマる。
まるで太宰の文章が、
自分の人生を表現してくれているように思い、
感嘆してしまう――
 「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、
 それが全然わからないのです
」。
 「ああ、人生は単調だ!」。
 「とにかく、私は、うんざりしたのだ。
 どうにも、これでは、駄目である。
 まるで、見込みが無いのである
」。
 「死にたい、いっそ、死にたい、
 もう取り返しがつかないんだ、どんな事をしても、
 何をしても、駄目になるだけなんだ、
 恥の上塗りをするだけなんだ
」。

広瀬は完全に太宰作品に魅入られた自分を
ふとした拍子にヤバイと思うのだが、その思いはごく短時間で、
気が付くと彼はまた、自称太宰の理解者になっている。
太宰のことホントに分ってるのは俺だけなんだ、みたいな。

そして、広瀬は永原に電話をかけて、
旅行はやめにしたことを告げる。
永原は言う、
 「十三日に、死ぬから
 「わかった」と広瀬。
 「どこで逃げても、あたし、恨んだりしない。
 そのかわり、ちゃんと背負ってね。
 広瀬くんは、心中事件の生き残りなんだからね

 「ああ……わかってるさ……

別に広瀬は死にたいわけではない。
永原のもとに行くことを友人に告げるとき、広瀬は、
 「オレ、少しでも太宰に近づきたいわけよ」と言う。
 「死ぬところまでは真似できないけどさ、
 なんつーの、生と死のぎりぎりの地点つーか、
 完全燃焼一歩手前つーか……
」。
それが、太宰に魅入られた広瀬の願い。
 『永原さんは、オレのために死んでくれる。
 オレは永原さんの死を見守ることで、
 太宰になることができる。
 ゆるかったオレの青春が、
 一気に濃くて熱くて波乱万丈&疾風怒濤な日々に変わってくれる
』。

6月13日。
広瀬は永原ゆかりのアパートを訪れる。
出迎えた永原の普通ではない目を見た広瀬は、
自分の目はどうだろうかと、訝る――
 『さっき、電車に乗っているとき、
 オレと目が合った奴らはみんなうつむいた。
 幼稚園ぐらいの男の子がオレの前を通ろうとしたら、
 母親が慌てて抱き上げた。
 ふん。ガキなんて嫌いだ。
 生きることになんの疑いも持たない奴なんて、
 未来は限りない可能性に満ちていると信じ込んでいる奴なんて、
 大っ嫌いだ
』。
部屋に上がった広瀬は何も話さない。
永原も、「あと三十分で出るから」と言ったきり、
何も言わない。
洗面所の方から乾燥機の音が聞こえ、
そこにある不条理さ
(これから死ぬ人間がなぜ衣類を乾燥機にかける?)が、
広瀬をゾッとさせる。
 『このひとは、もうすぐ死ぬんだ――
 いま、ここにいる永原さんが、
 もうすぐいなくなる

 『この人が、死ぬ。
 いま生きているこのひとが、
 もうすぐ、死んでしまう
』。

永原はフト言う、
 「もうすぐだよ、広瀬くん
そして、
 「……とにかくね、生きているのだからね、
 インチキやっているに違いないのさ……

と『斜陽』の一節を口ずさむ。
永原は声を上げて笑う。
広瀬は顔を伏せてカーペットをにらみつける。

日が暮れると、永原は、白い錠剤を取り出し、口に含む。
いよいよ準備だ。死へのカウントダウン。
広瀬は一緒に来ないかと誘われるが、
無言のうちに、態度で断ってしまう。
そして「ごめん」と謝る。
 『永原さんは、もうすぐ死ぬ。
 オレは女を見殺しにした奴という汚名を着て、
 だからこそ、明日から生まれ変わる。
 薄くてぬるくて平板な日々が、濃くて熱くて、
 波乱万丈&疾風怒濤な日々に変わってくれる。
 いいよな? どーせ、こいつ、ほっといても自殺しちゃうんだもんな?


永原が玄関から出ていった後、半ば開き直りとも取れる気持ちで、
広瀬は床に寝転がって天井を見つめるが、
そこに『斜陽』のフレーズが頭をよぎる――

 『けれども、私は生きて行かなければならないのだ

「けれども」が広瀬の頭を回る。
「だから」ではなく「けれども」。
それが、『なんか、いいな』と広瀬は感じる。
 『薄くてぬるくて平板な日々、バカでお気楽で
 どーしようもない毎日、なんの展望もない未来、
 涌いてこないやる気、一晩寝れば忘れる反省と教訓、
 オレってサイテーの奴だ……け・れ・ど・も……オレ、か
』。
乾燥機の作業完了を知らせるブザーが、
広瀬の目を開けさせる。
乾燥機の中の乾いた衣類は、温かく、柔らかい。洗剤の匂いがする。
ここでの乾燥機は、生への扉だ。「生活」の匂いが、「生」を呼び戻す。
広瀬は「けれども」を何度も頭の中で繰り返し、
『女生徒』の中の一節を思い出す――

 『明日もまた、同じ日が来るのだろう。
 幸福は一生、こないのだ。
 それは、わかっている。
 けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいでしょう
』。

また「けれども」。
この瞬間、広瀬は自分の頭の中で太宰治を捉え直す。
そして思う、
 『永原さん、知ってるかな。知らなかったら教えてやりたい。
 いまは梅雨で、うっとうしい天気がつづいて、
 梅雨が明けると今度は嫌になるほど暑い日がつづく。
 け・れ・ど・も、ふんわり乾いたシャツを着るのは、
 ほんとうに、マジ、マジ、気持ちいいんだから


そして彼は、靴を履き、玄関の扉を開けて走り出す――、

 『死なせるわけにはいかない。
 死んでほしくない。
 死ぬのは自由だ。
 け・れ・ど・も、生きるのもいい、
 よくなくても生きるのはいい、
 生きるから、いい、ような気がする、
 かもしれない、みたいな
』。

広瀬は全力で走る、永原ゆかりを、死なせないために。
生きるのもいいじゃないか、と教えてやるために。

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

ここでこの物語は閉じるのだが(異常に長くてすいません)、
僕が大分上に書いた「『だけど』を歌ってほしい」の、
「だけど」とはここで重松さんが使っている「けれども」だ。
僕が使ったのと少しニュアンスが違う気がしないでもないが、
しかし根っこは同じだと僕は思う。

もちろんこれまでにもシロップの楽曲は、
この「けれども」の部分を歌っているのではないかとの
解釈がされたこともある。今でもされているかもしれない。
でもどちらかといったら、やはりその「けれども」の前、
「人生はつらい」の部分にスポットライトが当っていたように思う。
今回の新曲のうち、数曲は
「人生はつらい」の後ろに見え隠れする「けれども」の部分に
光を当て始めているように、僕は感じた
(五十嵐さんはなんて言うのか知らないけれど)。
そしてひょっとしたらメロディのせいかもしれないが、
単純かもしれないが、僕はそれらの歌が物凄くよいと思ったのだ。

しかし一方でこれまでと変わっていないような印象をもたらす
楽曲もあり、やはりシロップはシロップなんだなと思ったのも事実。

 「anytime loss 眠たいだけ 働かなくてもいいのかな」
(フリーターの僕にはズズーンとのしかかる歌詞です[汗]。
“手首”の「くだらないこと言ってないで 早く働けよ」に匹敵する)。

 「僕の奇跡は全部使い果たされて
 残っているのはロスタイムの時間だけ でも届かない」

(コレは何か“天才”に通じるような気がしないでもない)。

あとは、君は特別だから大丈夫っていう言葉を信じて何もしなかったら、
こんなんなっちまったよ、みたいな歌詞とか。

また、“AIR LIGHT”や“Honey's dead”は、
歌詞は聞き取れなかったが、表面的には
“イエロウ”や“Everseen”の流れをくむ、ギターが走る疾走チューンだ。
「ベイベー」という言葉が度々出る(多分)“Honey's dead”は、
ロックな空気とあいまって、なんとなくプライマルスクリームみたいな印象。
僕は正直シロップのこういう曲はあまり好きではないのだが
(好きなファンの方怒らないで下さいね)、
とにかく早くしっかりした形で聴いてみたいなあとは思う。

こういった、僕が感じたような
「シロップ変わったようだけどやっぱ変わってないのかなあ」
っていう思いは、
実際バンド側も“途中の行方”で歌ってくれているように思う。

 「オレは変わっちまったけど
 オレは変わっちまったけど
 捨てきれないものがある」


そう、たとえね、アゲハチョウの幼虫が、芋虫が、
変態してチョウになったとしても、
それはアゲハであることに変わりはないんですよね。
見た目は変わっても、今も昔もアゲハです、みたいな。
だから、第二期に入っても(入ったのか知りませんけど)、
シロップはシロップで、そこは変わらないし、変えようがないのだ。

でもそんなこと書いておいてなんだけど、
僕はシロップの第二期はまだ始まっていないような気がした。
まさに「変態」の「途中」で、
僕はその「行方」が気になってしようがないといった感じ。

ライヴの初めに、“明日を落としても”“センチメンタル”
演奏しただけで、以降の本編は全部新曲、
そしてアンコールがすべてこれまでの曲(しかもアグレッシヴな曲調ばかり)、
こういった構成にするあたりからして、
バンド側もこれまでの曲とこれからの曲を明確に区別しているのは
おそらく間違いないでしょう。当たり前といえば当たり前ですが。
アンコールが僕はヒットパレードに思えてしようがなくて、
いっそ新曲だけで終わってくれてもそれはそれでよかったなどと思っている。
今まであまりお客さん側にライトを向けていなかった彼らが、
今回は思い切り向けてたのも印象的で、
ついに真っ向からファンと向き合い始めたイメージがあるし、
そこから考えてあのアンコールはもしかすると、
新曲だけで終わっちゃファンに悪いよね
しっかり楽しんで帰ってもらおうぜっていう、
バンド側のサービス精神の表れなのかもしれませんが
(確かにいつからかは分らないが、以前から
 シロップはアンコール何回もやるようなサービス精神を見せていたし、
 それを感じたのはここが初めてではないのですが)
もっと突き放してくれてもファンは食らいついていきますぜ、とも思った。
だって明らかにアンコールは……ねえ……
意識的にノリのいい曲やってたでしょう絶対。
嬉しいけど、すごく嬉しいんだけど、僕はシロップが好きなのであって、
ただ盛り上がるのが好きなわけではなくて、
そこだけが好きなわけではなくて、
そしてシロップの楽曲はアレが全てでないわけであって、
だから、僕は、うまく言えないけど、
アゲアゲな曲(歌詞は違うけどね)ばかり演奏されると閉口してしまう。

蒼白い炎みたいな、
一見涼しげだけど、触ったらスンゲエ熱いぜっていう、
以前の空気感も大好きだった僕としては、
“パープルムカデ”の前に笑顔で

「みんな一緒に歌ってくれよっ」

って言う五十嵐さんの姿が嬉しいような残念なような、複雑な気持ち。
日比谷でライヴをやったときに、“パープルムカデ”の前にカミまくって、
「相変わらずMCうまくできねえ」って言ってた人とは同じに思えない。

何が、あったんだろう。何を、思っているのだろう。

第二期に入った(or入ろうとしている)から、という言葉だけでは、
この変化、合唱を求めるような言葉は、説明できないだろう。
お客さんが盛り上がるのはいいんです、全然。
コブシ振り上げるのもいいんです、全然。
それは単に、シロップの楽曲がそれだけ好かれているという
その証拠にすぎないだろうから。
しかしその盛り上がりを作っているのが、
ここでは、シロップ16gというバンドと、
そのバンドを観に来たファンなのだ。
一見、当たり前のことに思える。
ファンはバンドを観に来たのだから、
盛り上がって当然、
また、バンドはファンの前で演奏するのだから、
ファンを盛り上げて当然、
だから互いに場を盛り上げて、
結果的に場は盛り上がって当然(まどろっこしいね)。
でもシロップのライヴは、
これまでどこか「ズレ」があったように思う。
シロップには、とりたてて自分たちから
ファンを盛り上げようという
動きは目立って見られなかった。
だからシロップのライヴにおけるファンは、
ちょっとばかし抑制されている節があった。
どう反応すればいいのかな、みたいな。
もちろん昔から前列には
飛んだり跳ねたりの動きはあったと思いますが、
今回はちょっと異質だった。
「ズレ」が完全になくなっていた。
「みんな一緒に歌ってくれよっ」って、
この言葉には、シロップが、いや五十嵐さんが、
自分の歌を「オレの歌」から「みんなの歌」に
ヴァージョンアップ(と言っていいのかな)させようとしている、
そんな意思が垣間見えていたように、今は感じる。
でも、なぜそんな意思が、どっからきたのかが、
僕にはまるで分らない。そしてそれが知りたくてたまらない。

というように、新曲まみれの本編と、
アグレッシヴな旧曲連打のアンコールをひっくるめると、
やっぱりシロップはどこか変わったような気がしてくるのであるが、
だがしかし、僕にはそれが何なのかよく分らないのである。

曲順を間違えた五十嵐さんに対する
中畑さんの硬いツッコミ、そして場内の大爆笑(!)、
それから五十嵐さんの、
あまりにサラリと出た「生きてて良かった」発言、
2度目のアンコールラストには、いきなり

 「さ最後にっ、最後に最後にぃ……」

と早口で切り出し、さも苦しそうに、

 「こ、この曲で、■△※◎□……!(←聞き取れない)

と、芝居がかったコミカルな言動を見せる、
ラストの“Reborn”前には、

 「わりぃわりぃ。1曲やり忘れちまったからよ、
 ちょっと…やるわ」


ってなんだこのライトタッチ(軽い感じ)。
「生きてて良かった」っていう旨の発言は、
内容は確かにシリアスなんだけど、空気がまるで違う。
日比谷の“Reborn”前のあのシリアスな空気、
たどたどしい言葉の紡ぎ方とは、まったく対照的。
マジで何があったんですか、この感じ。
何かなきゃこうならないでしょう。
実は昔からこうしたかったのかな?
第一期終わったし、いい機会だからってこと?
それでも説明にはなりますけど、
でもやっぱどこかできちんと語って欲しい。
(ふと、“汚れたいだけ”の歌詞が頭をよぎる――
 「友好的なのは 心の奥に
 本当の事を 隠すから」
って。
 もし、もし万が一何か隠してるなら、
 それは、やっぱりあまり嬉しくないが、
 今はこの方向であまり多くは言いますまい)。

とりあえず今、何が違うのかを、
僕が言える言い方で言うのなら、
これまでとライヴの空気が違ってた、ってことになる。
っていうかその表現が1番しっくりきてしまう。

うーんモヤモヤ。
僕はシロップ至上主義ではないが、
それでも、シロップは僕にとって、
終わりを見届けたい数少ないバンドさんの1つなのである。
極端な話、シロップがローリングストーンズみたいに
じいさんになってまで唄を歌っているとは
僕には到底思えない。
そこまで行く前に、どんな形で、であれ、
終わりを迎えることになると思う。
だが僕はそれを見届けたいのである。
なぜって好きだからです。シロップが。
そんな好きなバンドにこんなモヤモヤを頂いてしまったら
こりゃあ今後さらに関心を持ってしまいますよ。
今からもう、第二期完全体に触れたくてたまりません。
何がどう違うのか、どうして変わったのか、
はっきりガッツリとつかみたい。

ということで今のところの第1希望はやはり……、
ライヴで披露された新曲たちの音源化です(笑)。
いや披露されていないものでも全然かまいません。
早く聴きたい!
(現時点では『マウス・トゥ・マウス』みたいに
トッ散らかったものになりそうな印象もありますが)。

で、こっから余談だけれど、
五十嵐さん、
髪の毛もちっとちゃんとかまってあげればいいのになー。
もっとカッコよくなるのに。
何もしないでそのまま伸ばしましたみたいなモッサリヘアー、
おまけに多分くせっ毛ぽいから、
汗による湿気やライヴによる熱で、そりゃあもう大変。
確かにロックスター然としてるって言えばそうかもしれないし、
そこにグッとくる人もいるのかもしれないけど、
僕はもうちょっとサッパリしてる五十嵐さんがイイ。
とか言ってる僕も、どちらかと言えば五十嵐さんの髪質に多分近いから、
何かっつうと頭かき回したり、邪魔な髪振り払おうとして、
しきりに首を振る五十嵐さんの仕草、そうしたくなる気持ちに、
妙にシンパシー感じてしまいました(笑)。
頑張りましょう(ってなんだこれ)。
中畑さんがスキンヘッド(ツルッツルッ)なのもビックリしたけど、
アレはいったい何が理由なんだろう
精悍な顔つきのまるで修行僧のようで、
心なしか硬い印象を受けてしまいました。
僕がそんな印象にひっぱられているのか、
なんとなく中畑さんに笑顔が少ないような気がしたのが、少し気になる。
僕の考えすぎかな。
しかし代わりに、というわけではないだろうが、
アンコールで出てくるときに、キタダさんが笑ってたのが印象的だった。
って言っても何で笑ってたのかは皆目分らないんだけど。
でも何か嬉しそうor楽しそうで、新鮮だった。

今回のレポートはいつもと少し違って
瞑想、そして迷走気味ですが、
やはり新曲という新鮮な材料を、
ライヴで受け止めるのが精一杯で、
とてもその流れを文章で表せないというのが、
正直な理由です(書く必要ないねコレ、まあいいか)。
また怒涛のアンコールに関しては……
これをエクスクラメーションマーク(!)を多用して
描写することが果たして必要なんだろうかと、
そういう思いから筆が進まなかったという部分が何となくあります。

でもせっかくだから1番覚えていることを書いておくと、
それは“リアル”のラストで、
五十嵐さんがまるで弓引きパンチを放つアントニオ猪木のごとく、
コブシ握り締めて絶叫していた光景です。
って、分る人にしか分らない表現ですいません(笑)。
ナハハ。
あとひとつ、初めの“明日を落としても”
これは聴いたことのないイントロ、
振り子時計の振り子のようなギターのつまびきから始まって、
何が始まるのかと待ち構えている中に、
五十嵐さんの鋭い声が乗った瞬間、
やっぱシロップはすげえやあと思ったことも覚えています。

とまあ、ホントなんだかんだ書きましたが、
とりあえず、COME ON 第二期!って言葉で締めておきたいと思います。
また、必ず会いに行きます。
だって五十嵐さん、最後に、

「また会おう」

って言ってくれましたから。

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- SET LIST -
[本編]
01. 明日を落としても
02. センチメンタル
03. 途中の行方
04. チャイム
05. AIR LIGHT
06. Honey's dead
07. イマジネーション
08. 君を壊すのは
09. ラファータ
10. バナナの皮
11. STAR SLAVE
12. 多分
13. Scene through
[En-1]
15. 生きたいよ
16. 天才
17. 落堕
[En-2]
18. リアル
19. 神のカルマ
20. 翌日
[En-3]
21. パープルムカデ
22. 空をなくす
23. 真空
[En-4]
24. Reborn
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引用文献
重松清. 2002. 「桜桃忌の恋人」, 『日曜日の夕刊』, 77-114. 新潮文庫.

2005/05/11
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